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2008年1月20日 (日)

vol.1 劇団飛行船との出会い

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坂本 私は父親の仕事の関係で、本当に小さい時からおおすみさんの演出していた劇団飛行船の客席にいたんですよ。恐らく一番最初に演劇に触れたのが飛行船だったと思います。

おおすみ それが、今もお芝居を続けて居られることと、繋がってるとすると感慨深いですね。

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坂本 2歳くらいの時に初めて連れて行かれた時には、「暗転で泣かないか」を母が心配していたそうです(笑)。

おおすみ へぇ(笑)

坂本 もう25年くらい前の話なんですけどね(笑)。それでまぁ大人になって、自分がステージに立つ仕事をしているということに、少なからず影響を受けていますね。

おおすみ 僕は子供向けの仕事をずっとやってきましたが、子供相手の舞台は客席からの反応はありますが、感想って形では伝わって来ないんですよ。だから、そういうのは諦めていたんです。けれど最近、ルパンなんかを見ていた子供が、今では40代くらいになっていて、仕事場などで会うと「あの頃の…」なんてうれしそうに話し始めるんですよ。それで「あぁそうか、子供相手の仕事でも、時間が経てば感想が聞けるんだ」と。予想もしていなかったことです。

坂本 そうなんですかぁ。

おおすみ ええ。けれど僕が座付きで演出をやっていた「マスクプレイミュージカル劇団飛行船」なんかは、テレビのようなマスコミではないから広範囲から反応を確かめるような、そういう機会がないんですね。だから今日お会いできるのを大変楽しみにしてました。

坂本 私の小さい頃のお芝居の記憶は、飛行船の思い出ばっかりですね。父親に楽屋に連れて行ってもらった時に印象に残っているのは、マスクプレイミュージカルって中に人が入ってるじゃないですか、で魔女が出てくるお芝居の時に、魔女の中から男の人が出てきたのにはビックリしました!あと、小道具を触らせてもらったり、舞台裏を見せてもらって、すごく奥行きのあるセットだと思っていたのに、裏を覗いてみると書き割り(注1)だったりとか(笑)、子供のうちから随分知っていたなぁと思いますね。

おおすみ あまりいい観客じゃなかった(笑)、あまり子供のころはお芝居の裏側とか知らないのが普通ですからね。

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坂本 (パンフレットをみながら)わぁ懐かしい!私、特にこの「オズの魔法使い」が大好きだったんですよね~。

おおすみ あ~、魔女から男の人が出てきたってのは、その芝居だね。(笑)。

坂本 (声優の配役欄を見て)私、小学生の頃から吹き替えのお仕事をさせて頂いていたんですが、飛行船で声をやられているテアトル・エコー(注2)の方とよくお仕事で一緒になって。

おおすみ へぇ。

坂本 お芝居の中のあの声の人だって思いながら、「いつも飛行船みてます」って言ってました。

‐‐‐‐その経験って、すごく特殊ですね。

坂本 うーん、でも自分ではあまり特別なことをやってる意識もなかったですし、すごく生活の中に入っちゃってたというか、お芝居というものが。

おおすみ 当たり前というか、地続きだったんだろうね。

坂本 習い事みたいな感覚でしたね。

おおすみ  別世界に入っちゃったとか、そういうカルチャーショックがなかったんだね。

坂本 そうですね。入った劇団が特殊だったというか、「こまどり」っていう劇団なんですけど。

おおすみ  ああ、「こまどり」ね。

坂本 ふつうオーディションなんかですと、みんな「おはようございます!」なんて挨拶して綺麗な格好をして来るんですけど、こまどりの子たちは、いい意味で本当に普通なんですよね。プロフィール写真なんかも、先生が「この使い捨てカメラ3枚余ってるから、ハイそこの3人撮っちゃうよ」みたいなかんじで、赤目でもそのまま提出しちゃうみたいな(笑)。みんなも兄弟のお下がり着て行って、鼻水出てる~みたいな(笑)。

おおすみ  いいな、そういうの(笑)。

坂本 CMソングの仕事とかも、いわゆる綺麗に歌うとかはできないんですけど、逆にそれが小学生らしいと受けてお仕事をもらってるかんじでしたね。そういう劇団だったので、「お仕事」という感じではなかったんですよね。みんなが塾に行ったり、ピアノのお稽古に行ったりするかんじで、私は演劇に関わってるっていう。

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おおすみ  へぇ。

坂本 月謝もビックリするぐらい安くって(笑)。10人ほどの少人数で、先生も一人でした。その先生が、社長でありマネージャーでもあったんです。それが肌に合ったみたいで大学卒業するまでずっといました。

おおすみ  それは、本当にいいところへ入ったなぁ。

坂本 そうですねぇ。そう思います。私を最後に子供をとらなくなってしまったんで、今ではもう「こまどり」はないんです。私はこの劇団に入ったことで、"演じる"とか、"歌う"とかいうことを、嫌いにならなかったんですよ。劇団のムードのお陰だったと思いますね。ビジネスと思ったことも、良い意味でも悪い意味でも大人になるまで思ったことがなくって、演劇が好きでいられる環境だったんですよね。本当にありがたいです。

(つづく)

:1  書き割り・・・臨場感のある町並みや山などを大きな板に描きつけて情景描写する舞台美術

:2  テアトル・エコー(wikipedia)

坂本真綾さん 略歴

東京都出身 1980年3月31日生まれ
血液型:A型

幼少より海外ドラマや映画の吹き替え、アニメの声優として活躍

15歳から本格的に音楽活動も開始し、各方面から高い評価を得ている

東宝ミュージカル「レ・ミゼラブル」エポニーヌ役は6年目に突入
女優、声優、歌手、ラジオパーソナリティ、執筆など多彩な才能を発揮し、活動を続けている

次回更新は1/27の予定です

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2008年1月27日 (日)

vol.2 舞台から逃れられない運命

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‐‐‐‐子どもの頃、飛行船のお芝居は何度も見に行かれてたのですか?

坂本 一作品につき何度も行ってましたね~。だからこそ、やっぱり劇中の歌も歌えたし、小さい頃は何度も行くものだと思っていました(笑)。やっぱり積み重ねで、身近にあった演劇は飛行船でしたからね。客席から観ることも、舞台裏に行くことも好きだったんですけど、なんか8歳の時に突然、舞台上から客席を見たいなと思ったんですよね。

おおすみ ほう。

坂本 自分でもわからないんですけど、朝起きて突然言ったんですよ、「演劇がやりたいなぁ」って。それはテレビで子役がお芝居しているのを見て、「こういう子はどうやって、テレビに出てるの?」と親に聞いたら「子供が入る劇団があるのよ」って。「あ、そうなんだぁ」って思ったんですよね。それで何日か後に突然「私もやりたい!」みたいな(笑)。でもテレビへの憧れではなくて、どちらかというと舞台への憧れでした。

おおすみ その頃から一貫して舞台なんだね。飛行船の責任も重いね(笑)

Dsc00349_2 坂本 そうですね~。でも実際は、舞台というものに立つのは随分後になってからで、吹き替えとかナレーションとか声の仕事が多かったですね。舞台に立つきっかけは特になかったんです。でも、なんて言うんでしょう、他に取り柄のない子供だったんですよ(笑)。勉強ができたわけでもないし、スポーツも得意じゃないし、得意なものが特になくって、何か自分で打ち込めるものっていうのは、ピアノとか一応習わされたこともあったんですけど、どれも長続きせず。で、自分で「やりたい」と言い出したものだけ続けられたっていうことですね。

おおすみ "宿命"なんて言葉使うと大げさだけど、物心付いた頃から舞台をそばで見てたんだから、そういう仕事の素質が育っていたのかもしれないね。

坂本 私より先に親は、いつか言うだろうとは思ってたみたいですね。

おおすみ あ~やっぱりね(笑)。

坂本 あまり驚かなかったですもん。小さい頃から飛行船のお芝居を見に行って、家に帰ってくると印象的なセリフとかをずっとマネしてました。あと、干してある洗濯物がピュ~っ飛んでいくシーンのある芝居・・。

おおすみ ああ、オズの魔法使い。

坂本 そう!その仕掛けを家で作ってマネしてました(笑)。テグス(注1)とか使って!

Dsc00320 おおすみ もう家にいるって感覚じゃないんだ実際に本番でやってもらえばよかったなぁ!(笑)。でも、ほんとうに家と舞台は地続きだったんだね。その頃は演じる側ではなく、裏方の方が興味があったのかな?

坂本 そうですねぇ、学芸会とかも好きじゃなかったですし、子供の時は前へ前へという性格ではなかったです。そういうことで演劇をやりたい、スポットライトを浴びたい、という気持ちとはなんか違ったんですよね。ひねくれた子供だったんですよ(笑)!自分でもよくわからないんですけどね。

おおすみ まぁ、子供の時からすり込まれていたのなら、他の職業は選べなかったかもしれないね。

坂本 あぁ、そうですね~。

おおすみ 中村鴈次郎さん、今は名前が変わって坂田藤十郎(注2)さんから聞いたんですが、どうやって歌舞伎俳優の息子達が、なぜみんなあれほどやる気に育つのか、厳しく仕込むっていうやり方だけではその反動で嫌になるってこともあるハズなのに、いつの間にか本気でやる気になっている。それはなぜかって聞くと、結局小さい時、物心付いた時に散々舞台を観させることだって。舞台を観ることが日常となり、楽屋に出入りすることが日常になったら、そこから逃れられなくなる(笑)。

坂本 あ~!じゃあ、私も飛行船の舞台からのすり込みだったんですね!舞台から逃れられない運命なんだぁ(笑)

おおすみ 僕は、子役使う映画を撮ってたんだけど、子役の寿命は、子役時代で終っちゃうことが多いんです。子役として知名度が上がれば上がるほど、そうなんだよ。僕がやってたテレビの「ケンちゃん」シリーズの主役の子も、作品がヒットして人気子役スターになっちゃたから大変でしたよ。結局大人になってからイメージチェンジがうまくできなかった。・・・その辺の苦労はあったんですか?

坂本 そうですね。そんな深刻なものではなかったんですが、子供であるだけでかわいいとか、子供らしいとかを求められてやっていた時には、無邪気にやっていても褒めて頂けたんですけど、だんだん歳とともに求められるものが高度になってきたんです。

おおすみ それは自然だね。でも、そういうケースって少ないんですよ。

Dsc00344 坂本 中学、高校くらいで初めて、もうちょっと何かやらなければいけないのかな?と思いました。でも、それ以外は、たとえば劇団の方針として学校は絶対に休ませないってのがあって、学生としての自分は普通に過ごせたんですよね。良くも悪くも、あんまり子役としてどうの、とか無いままにきましたね。

おおすみ ラッキーでしたね。どんなマネージャーがついているかで大きく変わってくる。子役をぎりぎりまで引っ張ってやれ、と引っ張りすぎちゃうマネージャーと、早めに脱皮を考えてあげるマネージャーとの違いが出る。

坂本 そうですねぇ。その時はわからなかったのですが、大人になってから"守られてたな"って思いますね。いわゆる芸能界と言われるところで仕事をする中で、学生としての時間を守ってもらえた、また進学したいと言えば環境を整えてもらえたし、物理的にも気持ちの面でも、両親や劇団の先生に本当に守ってもらってました。女優としてとかタレントとして成功することよりも、人として成長していくことを見守ってくれる人が周りにいたんだなと思います。

おおすみ 自分の歩調に周りが合わせてくれてるんだ。それは、すばらしいことだね。

坂本 そうですね、めぐり合いですね。運がよかった。

(つづく)

:1  テグス・・・釣りに使われる透明で引っ張りに強い糸。舞台にも使われる

:2  坂田藤十郎(wikipedia)

坂本真綾さん 略歴

東京都出身 1980年3月31日生まれ
血液型:A型

幼少より海外ドラマや映画の吹き替え、アニメの声優として活躍

15歳から本格的に音楽活動も開始し、各方面から高い評価を得ている

東宝ミュージカル「レ・ミゼラブル」エポニーヌ役は6年目に突入
女優、声優、歌手、ラジオパーソナリティ、執筆など多彩な才能を発揮し、活動を続けている

次回更新は2/3の予定です

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