森下圭子さんのムーミン講演会を聞いて考えた事③
それらは、当時のヒッピーたちが理想としたコミュニティにも通じるものがあった。
ワガママいっぱいに自己主張し、でも他人の自由を尊重し、それぞれの役割を守る。賑やかな人たちがいて、静かな人たちがいる。
構想はどんどん広がり、夢中になってテレビ版をほぼオリジナルのごとく自由に描いた。が、それが結果としてに原作の世界を守ることになった。もとはトーベ・ヤンソンの世界から導き出されたものであったからだ。
目の下を湾曲させたムーミンの顔もその後のアニメ化で普遍化し、ポピュラリティな側面を代表するようになった。フィンランドのムーミンランドにあるムーミン像にもこの顔のスタイルが採用されているように見える。
そのほかキャラクター関係の明確化、コミュニティ構築、エピソード設定。すべてこれらフォーマットはその後、多くのアニメ化で、踏襲されているようである。
原作そのままという大義名分で、逆にトーベ・ヤンソンのパーソナリティーを踏み荒らさなかったことに、森下さんの講演に耳を傾けながら、私はほっとしていた。
人は寂しさを紛らわしたいときも、逆に孤独な時間を欲するときもある。ムーミンはその両面を味わうことができる。
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