連載対談「タバコのけむりの向こう側」

2007年4月 8日 (日)

vol.1 はじめにキャラクターありき


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対談の始まりはインターネットの話題から。

モンキー インターネットが普及し始めた時、僕はパソコン通信が楽しかったね~。当時からチャットとかもしてたしね。

おおすみ ずっと以前に、作家の佐々木守がパソコン通信をネタにして一本作品を書いた時、すごい!って思ったなぁ。多少空想交じりだったけど、本当にそんな時代が来るのかよ、ってね。

今考えるとなんでもないことなんだけどね。彼はルパンやる時、ライターの最初の候補だったんだよ。

モンキー そうだったの?

おおすみ 交渉したんだけど結局無理で、誰かいないかってんで、大和屋竺さんを推薦したの。

モンキー 大和屋さんもよく見つけたよねぇ。Monkeypunch1_1_4

おおすみ 彼の作っていた怪しげな映画をよく見ていて、ファンだったんだよ。それで直接電話したら、彼は緊張しちゃって、あの頃俺まだ30歳そこそこだったんだけど、40過ぎのおっさんからかかってきたと思ったらしくてね、(笑)。

モンキー そういえばルパンを作る時に、はじめて紹介されたのが大和屋さんだったなぁ。

おおすみ そうだったんですか。大和屋さんは、もうルパンだって言ったら舞い上がっちゃって、ルパンなら書きます、書きます!って。でも当初は構成が大変でね。たとえば第二話なんか、はじめの台本通りそのままやったら1時間以上の作品だったんだから。

モンキー へぇ!

おおすみ 当時俺が、ルパンってのは、今までのアニメのやり方ではダメだから、1時間半の劇場もの書くつもりでやってくれと、無茶苦茶なこと言ったんだよね(笑)。

モンキーさんの世界をアニメにするには、30分の中に構成をギュッと詰め込みたかった。それを説明するのに、「1時間半の劇場ものを毎回30分に縮めるくらいの密度で。」と例えで言ったら、みんなきちんと1時間半の台本を書いてきちゃった!(笑)。

モンキー あはは。それは直すの大変だね~。

おおすみ しんどかったぁ!

モンキー でもね、ぼくなんかもそうですよ。一塊のストーリーを長くしようとすると、けっこうダラダラしちゃう。だから色んな要素をたくさん持ってきてそれを縮めた方が濃くなるってのは確かなんだよね。漫画描く時も、はじめからダーと描いていくとどうしても枚数が増えちゃう。どうするかっていうと、最終的に前の方を削っちゃう。省略できる所は削る。それで最終的に枚数を合わせいくというのが僕のやり方だったね。

Monkeypunch1_2_5 おおすみ 描いていくと長くなってしまう漫画家のタイプが2つあって、ひとつはストーリーがどんどん増えていっちゃうタイプ。でもモンキーさんは、このタイプじゃなくって絵のコマが増えていっちゃうタイプだよね。

モンキー そうそうそう。

おおすみ 珍しいタイプの方、笑。でもそのほうが漫画らしくなっていいんだけどね。普通は連載中にストーリーの方が増えってちゃう、だからダラダラと長くなっちゃうんだよね。

モンキー そうかもしれないね。描く順序の問題もあってね、例えば出だしがバッと決まる、そういう時は大体結末がまだ決まってないんだよね。でもとにかく進んじゃおって。でも描いててもなかなか結末が思いつかない(笑)。で、やっと結末が決まった頃には長くなっちゃてるから、前の方を削っちゃう。

おおすみ 映像つくる人間が一番刺激を受けたのがそこで、すごく映像的なんだよね。ひとコマひとコマ描きたい絵があって、その裏側にあるストーリーを書き起こそうとするとわーっと大きな話になっちゃう。

モンキー 削った部分で、またストーリーを作っちゃうこともあるんです。この絵は無駄にしたくない!って(笑)。

おおすみ まさにそこなんです。

最近のオーソドックスな作品の作り方は、まずテーマを決めて、ストーリーを決めて、役割を決めて、役割が決まったら、はじめてキャラクターを作る。そういう作り方をするとあまり面白いものはできないんです。アニメーションに限らず、基本的にキャラクターがあって、そのキャラクターのイメージでストーリーができていくという風に、また戻っていかなければダメなんじゃないかと思う。

モンキー 僕も、はじめにキャラクターありきだと思うね。やっぱりキャラクターが決まらないと、漫画は決まらない。

おおすみ ルパンを見てるとよくわかるよね。最初に面白い絵が思いついて、そMonkeypunch1_3_1 のひとコマに拘ってストーリーを広げていってる、そういうのが原作を見てるとよくわかる。それにアニメーションもすごく刺激を受けていた。

これからは、そういうモノの作り方を、正当なものとして組みなおしていかなければならないと思う。それがまだメソッド化されていない。冗談みたいに言ってんだけど「漫画家の脳内解剖」をしてね、そのプロセスをメソッドにしていこうかと、笑。それにはどうしてもモンキーさんの助けが必要だから、まだしばらく死なないでよ!

モンキー 俺の方が年下だよ(笑)!

モンキー・パンチ氏 略歴

1937年北海道厚岸郡生まれ出版社で漫画家のアルバイトをした後、1965年『プレイボーイ入門』で漫画家デビュー。1966年「漫画ストーリー」に『銀座旋風児』を発表。1967年「週刊漫画アクション創刊号」より『ルパン三世』を連載。アメリカン・コミック調のタッチで人気を呼び大ヒット。のちにテレビアニメ化、映画化を果たした。1998年から漫画週刊誌「WEEKLY漫画アクション」で17年ぶりに連載を再開。東京工科大学大学院博士前期課程終了。
2005年より大手前大学人文科学部メディア・芸術学科教授。

次回更新は4/15の予定です

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2007年4月15日 (日)

vol.2 ルパンはアニメ化不可能だった?!


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モンキー 時々、昔描いたものを読み返す時があるんだけど、俺は当時こんなこと考えてたんだぁ、ってびっくりするね。とてもじゃないけど、今じゃ考えられないと思うモノが結構ある。体力的にもだけど、思考的にも今じゃ描けない。だからもう一回リメイクしようかな、なんて思うモノもあるんだよね。

おおすみ そこには、昔の作品は青臭くて今の自分の方がマシだな、という思いがあるのか、逆に今はもうそこには行けないな、という思いなのかどっちなんだろう?

モンキー 後者の方だよね。でも悔しいとかじゃなくて、それが普通だと思うんだ。

おおすみ なるほどねぇ。

モンキー ところで、「16ブロック(注:1)」っていう映画は観た?

おおすみ んー、まだ観てないなぁ。

モンキー 囚人を裁判所まで連れて行く16ブロックの間に、いろんな事件が起こるとういう話なんだけど、とても面白かった。僕が昔描いたルパンの中でもそれやってるんだよね。

おおすみ ルパンには、結構そのパターン多いよね。

黒澤明の「隠し砦の三悪人」もそういうふう作られたんだってね。旅館に泊まり込みで、朝起きると先に黒澤さんが起きていて、その日の枷(かせ)を作ってある。その枷をどうやって突破するかってのでライターみんなが、うんうん頭を捻って考える。そして、解決したらその日は寝る。すると翌朝、また新しい枷が作ってあり、またみんなが頭を捻って考える。そうやってストーリーを考えていったと黒澤さん自身が書き残してるよ。

‐‐‐‐モンキーさんが初めて、ルパンをアニメ化すると聞いた時、演出家おおすみ正秋さんの情報って何かあったんですか?

モンキー 東京ムービー(注:2)の先代の社長の藤岡さんからは少し話は聞きました。あまりMonkeypunch2_1_1 誰が演出するとか気にしてなかったんだよね。不安はまったくなかったんだけど、ルパンはアニメにはできないだろうって当時は思ってた。だけど、できた時には「んー、さすがプロだな」って思ったね。漫画のルパン三世の世界観からずれてなかった。キャラクターの動きにしても、声にしても、僕の考えたものに近かったし。

だいたいあの頃、打ち合わせなんてあったけ?

おおすみ モンキーさんとはないよ。

モンキー ないよねぇ。

おおすみ 当時、メインのスタッフで打ち合わせした時、モンキーさんの言うとおり、ルパンはアニメにならないって、僕以外はみんな思ってたんだ。

モンキー はじめTBSに話を持っていった時、藤岡さんに呼ばれて僕も一緒に行ったんだけど、TBSの人から「ルパンがアニメになったらどう思いますか?」って聞かれて、「アニメになりませんよ!」って言っちゃったんだよね~(笑)。

藤岡さん慌てちゃって、それ以来、僕、会議に呼ばれなくなっちゃった(笑)!

‐‐‐‐どうしてアニメにならないって思われてたんですか?

モンキー 僕の書くストーリーってランダムだから、話があっち飛んだり、こっち飛んだりするんだよね。それに対する説明がかなり必要だと思ってた。そうするとアニメーションとしての「流れ」ができないなと。

Monkeypunch2_2 おおすみ そのうちに藤岡さんが必死になって、「ルパンはアニメになるよ」って人を何人か集めたんけど、その人達は、原作をアニメ風に作り直すというか、それまでのアニメのパターンに合わせられますよ、という発想の人が多かった。

だから、原作の味をそのままアニメに移し変えられるって思ってた僕は、その点だけ孤立してたな。

「アニメ風にやれますよ」っていうのが宮崎駿さんや高畑さんで、彼らは途中から助けてくれた訳なんだけど、時々「ここは、こういう解決方法がいいじゃないですか?この方がアニメ的ですよ」と、善意のあるアドバイスをくれて、それはそれなりに面白いんだけど、やっぱりその当時から、既にアニメーションのパターンってのがあったんだよね、ディズニーも含めてね。ぼくはアニメ出身の人間じゃなかったから、「この原作でなんとかなる」と、頑なに思い込んでたんだよね。(だからアニメのパターンをほとんど捨てちゃって、実写のやり方を参考にしてやるしかなかった。)

モンキー 僕が漫画を描く時は、読者がわからなくても、あえていいやっていう描き方なんだよね。途中どうなってんだ?と、わからなくなったら、また最初に戻って読み返せばいいやってね(笑)。でも、アニメーションではそれができないでしょ。

おおすみ できないね(笑)。

モンキー だから、そのままやるのは、ちょっと難しいだろうなと思ってた。

おおすみ でもルパンはそこをきちっと説明で埋めちゃうと、面白くもなんともなくなっちゃうからね。

モンキー そうそう。

おおすみ だから、それがテイストだってわかってからは、わからないところは、わからないままでいいや、ってのをアニメでも取り入れたんだよね。

でも、そこのところを一番攻撃されたんだよね。僕がクビになったのは、そこです。説明不足ですよ、一言でいえば。テレビ局側は、これじゃぁ見てる人がわからないよって。

モンキー あぁ、そうか…、なるほどね。

おおすみ そりゃわかってんだけどね。こっちは、そんなこと百も承知でやった訳だから。

モンキー でも結果的には、おおすみさんがやった初代のルパンが一番よかった。

僕の世界観に全く近かったからね。

:1  16ブロック--------ブルースウィリス主演のアクションムービー。2006年作品。

:2  東京ムービー(wikipedia)

モンキー・パンチ氏 略歴

1937年北海道厚岸郡生まれ出版社で漫画家のアルバイトをした後、1965年『プレイボーイ入門』で漫画家デビュー。1966年「漫画ストーリー」に『銀座旋風児』を発表。1967年「週刊漫画アクション創刊号」より『ルパン三世』を連載。アメリカン・コミック調のタッチで人気を呼び大ヒット。のちにテレビアニメ化、映画化を果たした。1998年から漫画週刊誌「WEEKLY漫画アクション」で17年ぶりに連載を再開。東京工科大学大学院博士前期課程終了。
2005年より大手前大学人文科学部メディア・芸術学科教授。

次回更新は4/22の予定です

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2007年4月22日 (日)

vol.3 音へのこだわり


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モンキー そういえば、この間久しぶりにチャーリー・コーセー(注:1)さんに会ってきましたよ。

おおすみ まだ歌ってるんだってねぇ。

モンキー  そう、そう。彼は自分でお店を持っていて、そこで歌ってるの。結構お客さんもいっぱいで、リクエストはルパンの主題歌が多いんだよ。

おおすみ 一日に一回は歌ってるらしいねぇ。

モンキー そうそう。その時、増山江威子(注:2)さんと一緒に行ったの。増山さんが宝塚に住んでいて、僕が神戸に行った時、たまたま増山さんも時間が空いていて、会うことになったの。で、たしかこの近くにチャーリー・コーセーさんのお店があるから行ってみよう、ってことになって、携帯で検索して探してみたら、すぐ近くだったの!(笑)


‐‐‐‐歌声は変わってなかったですか?


モンキー 変わってないねー。張りのある声でね。

おおすみ ほんとに、いい声だよなぁ。

そういえば最近、峰不二子のテーマ曲を、奥田民夫が歌ったんだけど知ってる?

モンキー へー、そうなの?

おおすみ 結構おもしろいよ。ちゃんと感じが出てるの。

あー、CD持ってくりゃよかったな。こんど持ってきますよ。

今日はモンキーさんの新しいスピーカー「エベレスト」で音楽を拝聴するというのも大事な目的だったからね。(笑)

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モンキー あはは(笑)。

おおすみ 僕も昔、ちょうどルパンを作ってた頃、スピーカーが欲しくなって、音響監督の田代敦巳さんに相談してみたの。そしたら「行きましょう!」って、丸一日かけてショールーム巡り! 何種類ものいろんなスピーカーを聴き歩いたんだよね。まだその時はスピーカーの知識も何にもない頃だったんだけど、最終的に一番いいと思ったのが、ジムラン(JBL)だったんだよね。田代さんに「おおすみさん、お目が高い!」って褒められたよ。(笑)

モンキー 俺もちょうど、その頃からハマり出したんだよね。

おおすみ 田代さんは、普通のスピーカーじゃ満足できないって言って、取り壊される映画館から、劇場用のでっかいスピーカーを家に運び込んでたよ。あまりにも大きいからスピーカーの後ろ部分が、家の外壁から出てたけど!(笑)。

モンキー (笑)。僕もやっぱり昔からJBLのスピーカーの音は一番いいと思ってたんだけど、値段が高くいてね。当時はなかなか手が出なかった。

僕は一つのこだわりがあって、買うときは必ず聴いてみるんです。一番の条件で聴けるところを探しすんですけど、「HiVi(ハイヴィー)」という雑誌があるんですけど、そこの視聴室が一番いいんですよね。聴きたいと思う音があると、連絡して聴かせてもらうんです。長い付き合いだから、指定したスピーカーもちゃんと用意してもらえるの。

おおすみ こうやって話しを聞いてると、すごい音響マニアと思うんだけど、モンキーさんのすごいところは、どんなに凝っても、生の音には敵わないという考え方を、最初からきちん持っているところなんです。みんな観念ではわかってるんだけど、なかなか認識できない。

モンキー 生の音ってのは、自分でチューニングできないでしょ?ところが、スピーカーの音は、自分でチューニングして好きな音で聴ける。音ってキャラクターだと思ってるんですよ。だからJBLのスピーカーの音もキャラクターで、そのキャラクターを好きか嫌いかってことなんですよ。


‐‐‐‐自分好みのキャラクター(音)を作っていく作業なんですね?


モンキー そうです。だから生の音よりは、自分の好みで聴けるスピーカーの音が好きなんです。たまに生演奏も聴きにいくけど、ホールによってかなり違うんだよね。それもまた一つのキャラクターになってる訳なんだけど。

おおすみ  全ての音が耳に入ってくる生の音と、「いらない音」と「いる音」を調整できるスピーカーの音は、まったく違うものだよね。

音響スタジオのモニタースピーカーって、ものすごいいいもの使ってるんだけど、あれで音楽を聴いて、いいなと思った事ないんですよ。

モンキー うん。

おおすみ なんでだろう?って思ったら、あのスピーカーは全ての音を聴けるようになってる、それは言ってみれば、ひどい言葉ですけど「あら捜し」ができるようになってるんです。欠点をすぐに見つけられるように。だから、そういうので聴くと疲れるんですよ。そうすると、家に帰って自分でチューニングした音で音楽を聴くとほっとする。安いスピーカーでもね(笑)

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モンキー (笑)そういうことってあるかもね。

おおすみ 今日はモンキーさんの新しいスピーカー、エベレストでぜひ聴ききたいと思ってピンクフロイドの「原子心母」持ってきたんだ。

モンキー おお、いいねー(笑)。聴こう聴こう。

:1    チャーリー・コーセー(wikipedia)

:2    増山江威子(wikipedia)

モンキー・パンチ氏 略歴

1937年北海道厚岸郡生まれ出版社で漫画家のアルバイトをした後、1965年『プレイボーイ入門』で漫画家デビュー。1966年「漫画ストーリー」に『銀座旋風児』を発表。1967年「週刊漫画アクション創刊号」より『ルパン三世』を連載。アメリカン・コミック調のタッチで人気を呼び大ヒット。のちにテレビアニメ化、映画化を果たした。1998年から漫画週刊誌「WEEKLY漫画アクション」で17年ぶりに連載を再開。東京工科大学大学院博士前期課程終了。
2005年より大手前大学人文科学部メディア・芸術学科教授。

次回更新は4/29の予定です

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2007年4月29日 (日)

vol.4 ルパンを立体でみてみたい!


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‐‐‐‐‐‐‐‐お2人とも、コンピューターを使って3DCGをやったり、自分の手でモノを作り出す、ということにすごく強い思い入れがあるように思うのですが。

モンキー あー、僕らは死ぬまであるね。やっぱり面白いもの。やってると時間忘れちゃうもん。ところが、人から頼まれると仕事になっちゃうから、楽しめないんだけどね。(笑)

漫画を立体で見せられたらなぁ、と思うんですよね。というか、自分で見てみたいんだよね。ルパンなんかも、立体でみてみたいの。

おおすみ そんな漫画家も本当珍しいよね(笑)。
モンキーさんの漫画は一番再現しにくい漫画なんだよ。これはアニメにする時から、そこだけは諦めなきゃしょうがなかった。大塚康生(注:1)さんなんかは、必死になって再現しようとしてたんだけど、それでもやっぱりモンキーさんの絵にはならなかった。
これは、僕の考えなんだけど、モンキーさんの絵ってのは、突き詰めていくと「線」にたどり着く、「線の味」なんですよね。

モンキー ほー、自分ではわからないけどね。

おおすみ 「線の味」ってのは、アニメだと違う人が描くんだから、消えちゃうの当たり前なんだよね。じゃぁ「線の味」以外は何だっていうと、僕はルパンを見ていてすごく、裏側に立体思考があるなって気がしてたの。

モンキー あー、なるほど。

おおすみ だから、ルパンが立体になるといいなってのが、どっかにある。

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モンキー そうか。わかるような気がするね。
見て、これ全部立体カメラ!(部屋の中にはいくつもの立体カメラが!)全部オークションで手に入れたの。(笑)

おおすみ (笑)。そもそもモンキーさんを大学院(注:2)に誘い込んで、二人で一緒にやろうって約束したのが、立体映像なんだよね。(笑)

モンキー そう!(笑)

おおすみ そこで、「立体の世界」に二人でどっぷり浸かろうって。(笑)

 

‐‐‐‐立体映像っていうのは、具体的にいうとどんな映像なんでしょう?3DCGとは違う、いわゆるメガネをかけて見る立体映像ですか?

モンキー そうそう。ま、メガネをかけても、かけなくてもいいんですけどね。そこにあるモニターは、裸眼で立体が見えるモニターなんです。

 

‐‐‐‐お二人の、立体映像への強いこだわりっていうのは何なのでしょう?

Monkeypunch4_2 おおすみ ひょっとしたら、僕らの世代に共通するものなのかも。わからないけどね。まだ本当に満足してないんだと思う、あらゆるものに対して。
子供の頃にみたかったものが、まだ今のメディアの中で実現してない。

モンキー あー、それはあるかもしれない。

おおすみ れを見たいという欲求がすごくあって、だから限りなくハイテクの方にいっちゃうかもしれないなぁ。
僕の場合は、キャラクターを動かして一つの世界を作るという時に、その延長線上にある立体の世界、それを見たい。だから、立体カメラで実写を撮るというのは、ちょっと違うんです。自分たちが作ったキャラクターや世界を立体空間として見てみたい。まぁ、いわゆるディズニーランドですね。(笑)

モンキー 僕は、単純ですよ。高校生の時に初めて見た立体映像に感動しちゃったからなんだよねぇ。(笑)今でも忘れない「フェザー河の襲撃」という西部劇。

おおすみ あー、「肉の蝋人形」とかね。

モンキー 中学の時にね、朝日グラフってあったでしょ?そこで立体の特集を毎週やってて、鏡を使って見るやつがあってね、その時にサザエさんの絵があって、ひょっと覗いたら、そこにちゃんとサザエさんが立ってるんだよねぇ!(笑)
お~っ、て驚いちゃって、それ以来ですよ。印刷でもできるんだぁってね。
やっぱり、ルパンも立体にして、自分自身が見てみたいんだな。

おおすみ とはいいつつ、立体になったルパンを、二人とも結構見てるよね。前にモンキーさんに誘って頂いて、ソニーの研究所に行って、わーっと飛び出してくるルパンや、拳銃がこっちに飛び出してくるのを見て、二人でキャーキャーと喜んでたの。それはまだ開発途中だったんだけど、企業の都合で解散しちゃったんだよね。その時に、ちょうど大学院の話がきたから、そこで続きをやろうってことにしたの。(笑)

モンキー (笑)そうそう。まぁ、大学入っちゃったら、お互いに研究課題が違って続きはできなかったんだけどね。

 

‐‐‐‐大学での研究課題はなんだったんですか?

 

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モンキー 僕は、漫画をデジタルでみせるいい方法はないかっていうので、おおすみさんは、ストーリーをデジタルで作る方法、だったよね。
大学では無理だったけど、ルパンを立体にするプロジェクトというのは、きちんとあって、ある程度のところまできてるんです。今それを、僕のデジタル漫画とどう組み合わせるかっていう研究をしてるんです。前人未到の「未到プロジェクト」っていうの。(笑)
僕の頭の中のルパンは平面でなく、いつでも立体なんだよね。

 

:1    大塚康生(wikipedia)

:2    大学院・・・ふたりは東京工科大学メディア学部の第一期生

モンキー・パンチ氏 略歴

1937年北海道厚岸郡生まれ出版社で漫画家のアルバイトをした後、1965年『プレイボーイ入門』で漫画家デビュー。1966年「漫画ストーリー」に『銀座旋風児』を発表。1967年「週刊漫画アクション創刊号」より『ルパン三世』を連載。アメリカン・コミック調のタッチで人気を呼び大ヒット。のちにテレビアニメ化、映画化を果たした。1998年から漫画週刊誌「WEEKLY漫画アクション」で17年ぶりに連載を再開。東京工科大学大学院博士前期課程終了。
2005年より大手前大学人文科学部メディア・芸術学科教授。

次回ゲストは「ナイスレインボー」の三木俊一郎監督、石井克人監督
公開は6/3の予定です。お楽しみに!

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2007年6月 3日 (日)

vol.1 ルパンは性の目覚め


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‐‐‐‐第一回目の対談が、モンキー・パンチさんだったことを受けて、

三木 モンキーさんとは、どのくらいのお付き合いなんですか?

おおすみ ルパンの放送が始まる2年ほど前からだから、40年近くなるかなぁ。

石井 初対面の印象はどうだったんですか?

おおすみ 漫画アクションができた時、最初からルパンは注目されてたんだけど、名前も「モンキー・パンチ」とかだから、誰も日本人が描いてると思ってなかったんだよね。会うまでは漫画のスマートな印象から当時でいう岡田真澄のようなかっこいい男なんだろうな、と思ってたんだよ。

三木 あー、イケメンの洒落た男みたいな。

おおすみ ところが、会ってみたら北海道のじゃがいもみたいな、いい意味で本当に素朴な男だった(笑)

三木 ちょっと、いい話ですねぇ。

おおすみ しばらくみんなも、本当にルパンを描いた本人かなぁと思ってたね(笑)
それでちょっと絵を描いてもらうことにしたの。今でこそウソみたいな話だけど、当時、女の裸が漫画に現れることはまずなかったんですよ。モンキー・パンチもチラッとは感じさせてたけど実際にはまだ描いてなかったからね。僕はテレビのルパンでどうしてもそれをやりたかった。で、その場で描いてみてって言ったら、「わかりました」って描き始めたんだけど、デッサンみたいにアタリ線ばっかり描いててね。結局、帰るまで描けなかったの。だから、みんな「ほんとに本物のモンキー・パンチだったのかな?」って疑問を持ったままで終わっちゃった(笑)。

石井 (笑)へー!緊張してたのかな。

‐‐‐‐お二人は、モンキーパンチさんとお会いしたことあるんですか?

三木 お会いしたことないですね。だから、僕にも都会的なイメージしかないですよ。葉巻とかくわえてそうな…(笑)。

‐‐‐‐三木さんは、ルパンが出てくるCMの演出をなさってるんですよね?確か、おおすみさんがルパンの声優に山田康雄氏を選んで最初に演出し、三木さんが山田氏声優時代の最後のルパン演出をしたという不思議なつながりがあるんですよね。

三木 僕がやったのは石油会社EssoのCMで実写とアニメのルパンを合成させたやつですね。

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おおすみ あ、じゃぁ大塚康生さんとやったの?

三木 やりました。

おおすみ EssoのCMについては、大塚さんと電話でかなり長く話した覚えがあるなぁ。たしかその時に、演出いいねって話したんだよ。大塚さんも満足していたし、かなり評価が高かったよね。大塚さんからもらったマグカップ、いまだに俺持ってるもん(笑)。

三木 あー、そうですかぁ!ありがとうございます。うれしいなぁ。

‐‐‐‐ところで、石井さんもルパンのファンだとか?

石井 大好きですねぇ。

おおすみ 石井さんは、リアルタイムでみてたの?

石井 放送されたのって1971年じゃなかったでしたっけ?

おおすみ そうそう。

石井 僕、66年生まれなんですよ。

三木 おー、何気なく、さりげなく、すり込まれてるかんじだ!

おおすみ でも5才じゃ、リアルタイムで見てないでしょ?

石井 うーん、リアルタイムではみてないかもしれませんね。はっきり覚えてるのは、一回目の再放送からかなぁ。

おおすみ これは、ファン雑誌なんかでは言わないんだけど、リアルタイムで見た人、特に小さい頃に見てくれた人には、ずっと罪の意識があったんだよね。

三木石井 えー、そうなんですか?

おおすみ 子供の時間帯に、よくもあれだけのことをやったな、と思ってね。でも、時が経つとその事自体が評価されるんですよ。当時幼くして見た人達が肯定してくれるの。正直いってこれは意外だった。

三木 かなり肯定してますよ!性の目覚めに近いものがありましたからね、僕にも(笑)。

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おおすみ 僕は、そういうのを聞く度にホッとしてるんだよね。今まで僕の方から言わなかったんだけど、僕は当時、平行して児童演劇もやってたんだよね。まぁ今でもやってるんだけど、児童劇の専門家としては、あんなもの子供には見せちゃいけないっていう立場だったの(笑)。

三木石井 (笑)へぇ!

おおすみ 当初ルパンは大人の時間帯にやるってことで、準備してたんだよ。ところが僕の意図に反して、子供の見る時間帯にガッと放送されちゃった。当時「ムーミン」の演出をやりながら、延々とルパンの開発を進めてたの。大塚さんたちとね。その時は、いかに大人のアニメを作るか、という世界に例をみないことをやろうと頭がいっぱいだった。それで、いよいよ放送時間が決まったぞ!ってことになって、「え、その時間帯なの?」ってかんじだった。

石井 なるほど。

おおすみ だからね、このまま作り続けるしかないなと思いながらも、どっかに後ろめたいような、これでいいのかな?って思いがずーっとあったから、今になって言われるほどかっこいいことではないんですよ。「子供相手に、よしやってやれ!」なんてことで、確信犯的にやったわけでもない。

三木 意図がずれてたんですね。

おおすみ うん。傍目には開き直ってたけどね(笑)。「最近の子供には、このくらいが丁度いいんです」とかなんとか言ってスポンサーを説得してたし。当時、僕の内面に葛藤があったことは、大塚さんにすら言ってなかったんじゃないかな。おそらくここで初めて言うよ。

三木石井 えっ!そうなんですか!

おおすみ みんなが持ってる僕のイメージの方がかっこいいから、そのままにしといてもいいんだけどね(笑)。



三木俊一郎監督

1968年生まれ。東京都出身
武蔵野美術大学卒業。葵プロモーション入社後、CMディレクターとして数々の国際的な賞を受賞。特にファンタのCMなどで見せるナンセンスなギャグ表現に定評がある


石井克人監督

1966年生まれ。新潟県出身
武蔵野美術大学卒業。東北新社に入社後、CMディレクターとして働く傍ら、多数の映像作品を手がける
クエンティン・タランティーノのファンとして知られ、『キル・ビル Vol.1』ではアニメパートを担当した
主な監督作品:鮫肌男と桃尻女、PARTY7、茶の味、ナイスの森、HAL&BONS


ナイスレインボー

三木俊一郎監督、石井克人監督、ANIKI(伊志嶺一さん)によりクリエイターユニット“ナイスの森”を2003年に設立。同名の劇場映画を制作。 2006年10月に株式会社ナイスレインボーとして現在活動を続けている

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次回更新は6/10の予定です

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2007年6月10日 (日)

vol.2 漫画の味をアニメで活かす


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‐‐‐‐石井さんにとって、ルパン三世ファーストシリーズの魅力って何ですか?

石井 そうですねー、やっぱ質感ですかね。

三木 シズル(注:1)ですか?(笑)

石井 シズルですね~(笑)。手の形とか。袖ぐりの丸い感じとかね。

三木 あー、手の形は好きだよね。

石井 HAL & BONS(注:2)でもいかされてます。っていうか、そのままパクってます。(笑)

三木 CGの犬のキャラクターが主人公の話なんですけど、手の形がルパンの手を真似てるんです。

おおすみ そうか~、なんか手だけ、顔と違和感があると思ったら、そういうことかぁ(笑)。

石井 大塚康生さんの指示書を参考に…。

おおすみ ルパンっていうか、次元でよくその手を描いた気がするなぁ。むしろルパンはもうちょっとスマートな手でいいんじゃないかっていう意見持ってたんだよね。
次元はゴツゴツしたブローニング(注:3)を握った時の、あの節のある手ね。

石井 いいですよねぇ!ホント、まんま僕パクってますからね(笑)

三木 (HAL & BONSのパンフレットを指しながら)これ大塚さんの指示書じゃーん、HAL & BONSのじゃないじゃーんってね。(笑)Nice_302

石井 大塚さんの指示書を、犬の質感にしてCG部に渡したの!(笑)

おおすみ これひょっとしたら、アニメの設計図からとったんじゃない?

石井 そうです、そうです。

おおすみ え?設計図なんて手に入ったの?

石井 ありますよ。本とかも出てますし、昔のルパン特集のコーナーとかでもあります。

おおすみ ルパンをはじめるまえに大塚さんと、ルパンの手は特別だから手のモンキータッチは再現しようって、かなり意図的にやった記憶があるんだ。だから石井さんはすごいよ!ルパンの中でも手に注目するなんてね(笑)。

‐‐‐‐おおすみさんは、どうしてそんなに手にこだわって作ったんですか?

おおすみ 当時の漫画にはなかったから。あのタッチが。いかにも職人というか、プロフェッショナルってイメージの手なんですよ。握られるのが拳銃なのか、何なのかは別として。何かを扱いなれしている人間の手なんですよ。

石井 大概、漫画って手がちっちゃくなっちゃう。

おおすみ そう。それで、丸っこく描くもんなんですよ漫画の手って。今でも僕は原則はそうだと思うんだけどね。モンキーさんの絵ですごいなと思うのは、絵全体が与える印象としては、丸みがある。漫画らしい。ご本人もリアルだということは評価されてもいいが、劇画といわれるのはちょっと、という考え方があってね。やっぱり漫画派だからね。でも漫画派の中でも、一番劇画的なリアルな表現、リアルなコンテンツに対応できる絵をもってて、だからテレビで本物の拳銃や車をだそうとかいうのに、「お、それでいける」ってピタッときたんだよね。

Nice_144三木 へぇ。

おおすみ 普通それやろうと思ったら、描き込んだ劇画調じゃなきゃ合わなかったんだよね。モンキーさんは、ずっと漫画の味を捨てないで持ってながら、リアルなんだよね。

石井 なるほど。

おおすみ 今、大学で研究しているキャラクター開発で、漫画のスタイルと、取り扱う物語のコンテンツとが、どのくらいの許容度がもてるか研究をしようと思ってるの。アニメ会社からのバックアップもあってね。

三木 へぇ、それはどんなプロジェクトなんですか?

おおすみ ようするにキャラクター・イノベーションというかな。キャラクターのスタイルを大きく7種類に分類するんですよ。もちろん本当はもっと多く分類できるんだけれども、7種類位がちょうどいい。たとえば端にサンリオのキティちゃんとか、ブルーナのミッフィとかがいて、もう一方の端には さいとうたかを先生とか影まで書き込んであるようなスタイルがある。で、その間のちょうど真ん中辺りに、先ほどお話した漫画派、手塚さんやら石ノ森章太郎やら、ほとんどのメジャーな漫画家が入るわけです。その間を埋めていって横の様式ををつくり、さらに今度は縦にそれぞれアイテムやセットを足していく。最終的にはマトリックスにしてコンテンツとの関連を探る。最後のミソは、キャラクターは「顔(表情)」ってことになるんだけど、漫画家の描く表情の在庫には限界があって、ある一定量生産しちゃうと、それ以上描け描け言っても結局同じ顔で髪型を変えただけってことになっちゃう。これはデータでもはっきりしている。そこで漫画家個人のアーカイブをつくっちゃおうと。

三木 へぇ、なるほど。

おおすみ このプロジェクトは、企画開発という側面があって、漫画家本人ではなく漫画家と一緒になって作品を作っていく、プロデューサーのためのシステムなんです。

三木 壮大なプロジェクトですねぇ!

おおすみ 実際問題、こういうことがあってね…。アニメ界では常識なんだけど、ちょっと出てくる通行人とか、お巡りさんとかはアニメの作画家が描くんだけど、僕はそれが嫌いでね。大塚さんに描いてもらったりしてたんだけど、大塚さんの絵は癖があって、モンキーさんの絵を離れて自由に描くと、まるで違う絵になっちゃう。街の通行人ひとりといえども、モンキーさんの絵じゃなきゃ嫌で、モンキーさんに頼んだんだけど、あの人も無精者でね(笑)、「それはありがたいけどね、ちょっとねー」なんて言われちゃって。その時にすでに今の研究と同じことやってたんだけど、「モンキーさん、悪いけど、あなたの原作の中から好きな顔使わせてよ」って、それで服装と髪型だけ変えて、最終的に「モンキーさん、これどう?」って見せたら「あ、いいねぇ!」って(笑)。全部それで終わっちゃう。結局、書き下ろしせずに済むから、ある意味、漫画家を解放するシステムにもなるな、と。だから、今でも本気で調べる気になったら、このアニメにちょこっと出てきた、このキャラクターは原作のどこにいるか、とかって探すこともできるんだよね(笑)。

三木石井 へぇー!

:1    シズル・・・臨場感のあるニュアンス を表現する語として用いられる映像業界用語。

:2    HAL & BONS(Grasshoppa!)

:3    ブローニング・・・弾倉が蓮根型で回転する拳銃。プロはオートマティック型よりも確実性の点でこちらを使う。

三木俊一郎監督

1968年生まれ。東京都出身
武蔵野美術大学卒業。葵プロモーション入社後、CMディレクターとして数々の国際的な賞を受賞。特にファンタのCMなどで見せるナンセンスなギャグ表現に定評がある


石井克人監督

1966年生まれ。新潟県出身
武蔵野美術大学卒業。東北新社に入社後、CMディレクターとして働く傍ら、多数の映像作品を手がける
クエンティン・タランティーノのファンとして知られ、『キル・ビル Vol.1』ではアニメパートを担当した
主な監督作品:鮫肌男と桃尻女、PARTY7、茶の味、ナイスの森、HAL&BONS


ナイスレインボー

三木俊一郎監督、石井克人監督、ANIKI(伊志嶺一さん)によりクリエイターユニット“ナイスの森”を2003年に設立。同名の劇場映画を制作。 2006年10月に株式会社ナイスレインボーとして現在活動を続けている

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次回更新は6/17の予定です

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2007年6月17日 (日)

vol.3 ファーストシリーズの魅力


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‐‐‐‐ルパン三世ファーストシリーズでは何話目がお好きですか?

石井 ぼくは、1、2話が好きですね。特に2話が好きです。あのパイカルの。

三木 あー、『魔術師と呼ばれた男』ね。

石井 あれはもう、何回も観ましたね。アニメ本も持ってますもん。アニメを漫画にしたやつ。質感がすごく好きだったんですよね。

おおすみ へぇ。

Nice_152_2

石井 なんか当時、好きだった質感ってのがあって、一番最初に漫画に目覚めたのが、『アストロ球団』(注:1)という漫画で、作画の中島徳博さんがお尻やシワを描くのがすごくうまいかったんです。で、そういうシワとか描けるのすごいなぁから始まって、ルパンを観たとき、「ヤバイ!」っていうか、「キタッ!」って感じがしたんです。

‐‐‐‐石井さんの中で、ルパンは"ストーリー"というより"絵"なんでしょうか?

石井 いや、ストーリーも好きですよ。やっぱり前半の方の大人っぽい話とか、すごい好きですね。男女の馴れ初めがアニメの中に絡まってるのって、あの時代そんなになかったですからね~。

三木 そうそう。

‐‐‐‐おおすみさんは最初にルパンを作る際、子どもが見ることを想定していなかったそうですが、放送が始まってからもですか?

おおすみ もうね、したらダメだと思ったの。僕は、さんざん文句言われてクビになったけど、クビになった理由は唯一点「視聴率が低い」ということだったんです。その理由としては、説明不足ということだったんだけど、「子ども向きじゃない」ってのは、理由として一回も出てこなかった。それが残念だったね。むしろ「子どもの教育によくないからクビだ!」ってはっきり言ってくれたほうがよかったよ。

三木 でも僕らはまさに子ども時代に惹かれましたねぇ。大人っぽいところがよかったんでしょうね。

石井 あと、車とか時計とか、昔から好きなのかもしれない。僕『がんばれ!ベアーズ』とか好きだったんですよ。

おおすみ 僕も物心ついたばかりの時に『愛染かつら』(注:2)っていうメロドラマみて、えらい感動した覚えがあるんだけど、大人向けの作品なのに何故だろうって考えたら、3歳くらいの子どもでも、人を「好きなる」「嫌いになる」「別れると悲しい」っていう人間の基本感情が、ちゃんと分かるんだよね。メロドラマって、大体この3つの要素で成り立ってるんですよ。

石井 ルパンでも三角関係とかあって、不二子はパイカルのことを別に嫌いじゃなかったり、でもルパンも好きだったり、そういう複雑な大人の事情とかがあって、さらに謎解きとかあったじゃないですか、あれがすごかった!1本の映画でもいいんじゃないかと思ったぐらい。

おおすみ モンキーさんとの対談でも話が出たんだけど、当初、1時間半の映画を毎回30分に縮めるくらいの密度でやろうと思って、実際、1時間半の台本を書いてもらって削ったり直したりして作ってたの。

Nice_280_1

三木石井 へぇ!

おおすみ 作業としては大変だったけどね(笑)。

三木 最初、2話はどんな感じで膨らんでたんですか?

おおすみ 2話はねぇ、膨らませたというより、最初から削る一方だったの。シリーズとして、五右衛門出せ、銭形出せ、レギュラーは毎週欠かさずに!っていうプレッシャーがあったから、2話の場合それを想定して台本が上がったんだけど、五右衛門なんて出せるもんじゃないから切っちゃおうとか、たしか銭形も出てないんじゃなかったかな?

石井 出てないですね。

三木 それがいいんですよね~。

おおすみ うん。そういう減らしかたをして、最終的に「あ、まとまった。」ってなったの。

三木 なるほど。じゃぁ、最初の台本には銭形も出てたんですね。

おおすみ あと、2話で一度やってみたいなと思ってたのは、"見終わった後も、後をひく作品"を作ってみたかった。ディズニーや東映なんかのアニメーションで、終わってから後をひくものがないんですよ。観てる時は感動したり、興奮したりして、それはすばらしいものがいっぱいあるんだけど。ほら、よく作品の良し悪しじゃなく、見終わった後に「あの人たちはどうなったんだろう?」とか「どうしてるんだろう?」とかいう風に、キャラクターが後をひく映画ってあるじゃないですか?

石井 ありますね。

おおすみ ディズニーの作品は好きなんですけど、何本見てもそういう作品はないんですよね。アニメってのはなぜかな?見終わったらそこで、本当に終わりになってしまうんですよね。だから、2話では後を引くものを作りたくて、ラストの作り方は何パターンかあったんだけど、結局あのかたちにしたんです。狙ったほど余韻は残らなかったけどね(笑)。まぁちょっとは後ひく感じになったかなと。

三木石井 ひきますよ~!

三木 なんか、儚さがあるんですよね。

Nice_175 おおすみ でも、テレビ局のリアクションは非常に厳しいものがあったね。「これで終わりですか?」とか、そういうドキッとする質問されたりね。

石井 わかんなかったんですね。良さが。だって探偵物語とかって、まんま旧ルパンですもんね。完全に影響されまくってますよね。旧ルパンがなければ探偵物語も生まれてないですよ。

おおすみ あはは。いい意味で後を引いたんなら、やってよかったのかな。

:1  アストロ球団(wikipedia)

:2  愛染かつら(YouTube)

三木俊一郎監督

1968年生まれ。東京都出身
武蔵野美術大学卒業。葵プロモーション入社後、CMディレクターとして数々の国際的な賞を受賞。特にファンタのCMなどで見せるナンセンスなギャグ表現に定評がある


石井克人監督

1966年生まれ。新潟県出身
武蔵野美術大学卒業。東北新社に入社後、CMディレクターとして働く傍ら、多数の映像作品を手がける
クエンティン・タランティーノのファンとして知られ、『キル・ビル Vol.1』ではアニメパートを担当した
主な監督作品:鮫肌男と桃尻女、PARTY7、茶の味、ナイスの森、HAL&BONS


ナイスレインボー

三木俊一郎監督、石井克人監督、ANIKI(伊志嶺一さん)によりクリエイターユニット“ナイスの森”を2003年に設立。同名の劇場映画を制作。 2006年10月に株式会社ナイスレインボーとして現在活動を続けている

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次回更新は6/24の予定です

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2007年6月24日 (日)

vol.4 緊張感を演出する


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おおすみ 僕は、三木さんが学生時代に作ったクレイアニメ(注:1)のファンなんですよ。ずいぶん前だけど知り合いにみせてもらってずっと記憶に残ってる。本当にすごかった。

三木 お~、ありがとうございます。

おおすみ またクレイアニメを作ったりしないんですか?

Nice_210 三木 うーん、新しい作品をつくる気はないですね。どちらかというと、今の自分の置かれた立場と、新しく知り合ったスタッフと一緒に、もう一度あの世界観を再現したらどうなるんだろう、という興味はありますね。

おおすみ コマ撮りそのものが、面倒くさいってことはないの?

三木 それもちょっとありますね。だからもう手法はコマ撮りじゃなくして、あらゆる特殊効果を使って、あれに近いことを今やったら、どれくらいクオリティーが上がってるのか、とういうことに関しては興味があります。

‐‐‐‐三木さんも石井さんも、映画やCMなどを作るとき、細かいキャラクターまでイチから全部決めてたりしますよね。やっぱり最初から最後まで本当は全部自分でやりたいと思っていたりするのでしょうか?

石井 自分でやりたいのも山々なんですが、自分よりうまい人たちがいるってのも知ってるので、ある程度までは書いて、まぁ靴なんて作るわけないんだけど一応描いて、それを見た感じでやってくれと投げるんです。それで、イメージ通りにならなくても、それはそれで事情があるんだなと。

おおすみ うん。

石井 CMをたくさんやってると、やっぱり衣装はこうじゃなきゃダメだとかいって、たくさん作ってもらうんですけど、タレントさん本人が着たくないだとか、似合わないとか、いろいろな事情がでてくるんですよね。美術とかの場合は、自分のイメージより、さらにもっとすごいのをデザイナーさんが作ってきたりしてくれますね。あー、こういう人がいるなら任せてもいいかな、と思うんですよね。

おおすみ 協力ってのはありがたいものでね、自分にないところを補ってくれるからね。でもこれからは一人で何もかもできる人、あるいはやりたいと思ってる人が、台頭してくるのかもしれないなぁ。

石井 一人のパワーが強いと、すごいんだなってのはなんとなくわかります。小池健君とかみてると思います。マッドハウス(注:2)のアニメーターで『TRAVA - FIST PLANET』(注:3)を僕と一緒に演出した人なんですけど。

おおすみ あ、彼はマッドハウスから出てきたとは信じられないくらい、自分のスタイルで絵を描いてたからビックリしたね。前に一度、アメコミ漫画をアニメーションで作りたいと思った時があったんだけど、アニメ業界でああいう絵を描ける人は絶対いないなと、そのころは結論付けちゃったんだよね。アニメーターってのは、例えば宮崎駿とそっくりな絵を描けるから、ジブリで優秀なアニメーターとなるわけだからね。いかに自分のことを殺せるかってことでしょ。それは仕事として当然なんだけど、そのうち何年かするとその絵しか描けなくなっちゃうんですよ。

石井 今また小池君と『RED LINE』(注:4)という劇場公開用アニメーション作ってて、僕の中では、完全にアメリカ向けに作ってるんですよ。しかも西でも東でもなく、アメリカの真ん中辺に住む人たちにポイントで狙ってるんです(笑)。

おおすみ (笑)わかる、わかる。

Nice_271 石井 ほんとにバタ臭い映画で、車もいっぱい出てくるみたいな。世界観はスターウォーズなんです。スターウォーズの中のレースをやってる人たちの話(笑)。

おおすみ いいねぇ、それはぜひやってよ!

石井 僕、何年か前にタランティーノの『KILL BILL』のアニメパートのキャラクターデザインをやったんですけど、自分の中でまだまだだと思ったんですよね、もうちょっとイケる!みたいな。

‐‐‐‐アメリカでの評判はどうだったんですか?

石井 よかったんですよ。タランティーノも大喜びでした。彼は『鮫肌男と桃尻女』のオープニングを見て、「あれは誰が描いたんだ?」となって、僕が描いたって言ったら「じゃ、今度頼むから」ってことになって、3年ぐらいして新宿の小さい飲み屋に呼ばれて『KILL BILL』ってのをやるんだけどどうか?て言われたんです。



(ここで石井克人新作アニメーション、『RED LINE』のパイロットフィルム(5分ぐらいでした)をみせてくださることに!そして大満足の鑑賞会の後も対談はつづく・・・)



おおすみ これは、最終的にどれくらいになるの?

石井 1時間半ちょうどくらいです。

おおすみ この作品で難しい点は、このあとストーリーをどこまでひっぱるかだね。ストーリーはどうでもよくって、遊びさえあればいいんだとういう作品もあるけど、これは、よほどストーリーへの吸引力っていのかな、そういうものがないと、絵柄がおしゃれっぽいからミュージッククリップに見えちゃうんですよね。それは損です。本当に。単なる素材集になっちゃう。1カット、1カットが、すべて一つの方向に向かってるような、何かに引っ張っていかれる緊張感みたいなものが持続すれば、これは大成功するね。

石井 なるほど。

おおすみ 石井さんのアニメ『TRAVA - FIST PLANET』でも、宇宙船の中でキャラクターたちが馴れ合ってる。僕もルパンや次元でやったけど、ああいうの大好きなんですよ。馴れ合いながらも、緊張感をだしていくんですよね。

石井 ですね。

Nice_197_1 おおすみ 例えばタランティーノの『パルプ・フィクション』なんかでも、サミュエル・L・ジャクソンが車の中で「ビッグマックがフランスでは…ナントカ、カントカ」ってダラダラとくだらないおしゃべりを熱中してやってるでしょ。やってるけど、観ててね、これからギャングに行くんだっていう緊張感は絶対はずさないんですよ。

三木 はいはい。

おおすみ 今見たかぎりでは、あの仮付けの音楽が場面を伴奏しすぎてたからね、このままじゃミュージッククリップになっちゃうなと思った。違う音楽が流れていたら、緊張感に繋がったかもしれないね。ルパンでも音楽監督の山下猛雄と打ち合わせした時も、最初にそれ言ったんだけど、あの人は伴奏音楽に慣れててね(笑)、全部で90曲ぐらいつくるのだけど、とにかくドンスカドンスカは全部やめてくれっていったんですよ。絵にあわせた伴奏はいらないって。

三木 へぇ~。

おおすみ いま目の前で起こっていることを、わざわざ伴奏する必要はないと。もし入れるなら、今そこで起こってないこと、しかしこれから起こるであろうこと、あるいは、もう過去に失ったであろうこと、そういう距離の遠いものを流してくれと言ったんです。

三木 それ面白いですね~。

おおすみ で、場面の迫力がなくならないように、SEだけはガンガン入れて…。たとえば、デビッド・リンチのマッチをちょっと擦るだけで…

三木 ジョワ~って。

おおすみ そうそう、音が広がる。それぐらいのSEの誇張ってのはずっと言い続けた。

三木 あー、おもしろい。

Nice_311

おおすみ それは僕の独創でも何でもなくって、昔のアメリカのハードボイルドタッチの映画は、ハリウッド風のアクション伴奏が、ほとんど入ってないんですよ。ニューヨークの冷え切った夜、遥か向こうのビルの方にトランペットの音が流れている、でもこっち側では血みどろの戦いをしている。そういう場面が非常に子どもの心にも印象に残っているから、そういう使い方をするように心がけた。

三木石井 へぇ。

三木 非常に勉強になりますね。僕らみたいな今30代、40代で演出をしてる人間にとってもいろいろ発見があっておもしろいなぁ。



‐‐‐‐まだまだ話しはつきない3人の対談ですが、ここからはより一層ディープに。続きは番外編『おおすみ正秋の物語論』にて近日公開します!



:1  三木さんのクレイアニメ・・・学生時代から部屋で一人でクレイアニメを制作し、世界中で数多くの賞を受賞している。

:2  マッドハウス(wikipedia)

:3  TRAVA - FIST PLANET(英語版 wikipedia)

:4  RED LINE・・・石井監督の次回長編アニメーション作品。

三木俊一郎監督

1968年生まれ。東京都出身
武蔵野美術大学卒業。葵プロモーション入社後、CMディレクターとして数々の国際的な賞を受賞。特にファンタのCMなどで見せるナンセンスなギャグ表現に定評がある


石井克人監督

1966年生まれ。新潟県出身
武蔵野美術大学卒業。東北新社に入社後、CMディレクターとして働く傍ら、多数の映像作品を手がける
クエンティン・タランティーノのファンとして知られ、『キル・ビル Vol.1』ではアニメパートを担当した
主な監督作品:鮫肌男と桃尻女、PARTY7、茶の味、ナイスの森、HAL&BONS


ナイスレインボー

三木俊一郎監督、石井克人監督、ANIKI(伊志嶺一さん)によりクリエイターユニット“ナイスの森”を2003年に設立。同名の劇場映画を制作。 2006年10月に株式会社ナイスレインボーとして現在活動を続けている

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2008年1月20日 (日)

vol.1 劇団飛行船との出会い

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坂本 私は父親の仕事の関係で、本当に小さい時からおおすみさんの演出していた劇団飛行船の客席にいたんですよ。恐らく一番最初に演劇に触れたのが飛行船だったと思います。

おおすみ それが、今もお芝居を続けて居られることと、繋がってるとすると感慨深いですね。

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坂本 2歳くらいの時に初めて連れて行かれた時には、「暗転で泣かないか」を母が心配していたそうです(笑)。

おおすみ へぇ(笑)

坂本 もう25年くらい前の話なんですけどね(笑)。それでまぁ大人になって、自分がステージに立つ仕事をしているということに、少なからず影響を受けていますね。

おおすみ 僕は子供向けの仕事をずっとやってきましたが、子供相手の舞台は客席からの反応はありますが、感想って形では伝わって来ないんですよ。だから、そういうのは諦めていたんです。けれど最近、ルパンなんかを見ていた子供が、今では40代くらいになっていて、仕事場などで会うと「あの頃の…」なんてうれしそうに話し始めるんですよ。それで「あぁそうか、子供相手の仕事でも、時間が経てば感想が聞けるんだ」と。予想もしていなかったことです。

坂本 そうなんですかぁ。

おおすみ ええ。けれど僕が座付きで演出をやっていた「マスクプレイミュージカル劇団飛行船」なんかは、テレビのようなマスコミではないから広範囲から反応を確かめるような、そういう機会がないんですね。だから今日お会いできるのを大変楽しみにしてました。

坂本 私の小さい頃のお芝居の記憶は、飛行船の思い出ばっかりですね。父親に楽屋に連れて行ってもらった時に印象に残っているのは、マスクプレイミュージカルって中に人が入ってるじゃないですか、で魔女が出てくるお芝居の時に、魔女の中から男の人が出てきたのにはビックリしました!あと、小道具を触らせてもらったり、舞台裏を見せてもらって、すごく奥行きのあるセットだと思っていたのに、裏を覗いてみると書き割り(注1)だったりとか(笑)、子供のうちから随分知っていたなぁと思いますね。

おおすみ あまりいい観客じゃなかった(笑)、あまり子供のころはお芝居の裏側とか知らないのが普通ですからね。

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坂本 (パンフレットをみながら)わぁ懐かしい!私、特にこの「オズの魔法使い」が大好きだったんですよね~。

おおすみ あ~、魔女から男の人が出てきたってのは、その芝居だね。(笑)。

坂本 (声優の配役欄を見て)私、小学生の頃から吹き替えのお仕事をさせて頂いていたんですが、飛行船で声をやられているテアトル・エコー(注2)の方とよくお仕事で一緒になって。

おおすみ へぇ。

坂本 お芝居の中のあの声の人だって思いながら、「いつも飛行船みてます」って言ってました。

‐‐‐‐その経験って、すごく特殊ですね。

坂本 うーん、でも自分ではあまり特別なことをやってる意識もなかったですし、すごく生活の中に入っちゃってたというか、お芝居というものが。

おおすみ 当たり前というか、地続きだったんだろうね。

坂本 習い事みたいな感覚でしたね。

おおすみ  別世界に入っちゃったとか、そういうカルチャーショックがなかったんだね。

坂本 そうですね。入った劇団が特殊だったというか、「こまどり」っていう劇団なんですけど。

おおすみ  ああ、「こまどり」ね。

坂本 ふつうオーディションなんかですと、みんな「おはようございます!」なんて挨拶して綺麗な格好をして来るんですけど、こまどりの子たちは、いい意味で本当に普通なんですよね。プロフィール写真なんかも、先生が「この使い捨てカメラ3枚余ってるから、ハイそこの3人撮っちゃうよ」みたいなかんじで、赤目でもそのまま提出しちゃうみたいな(笑)。みんなも兄弟のお下がり着て行って、鼻水出てる~みたいな(笑)。

おおすみ  いいな、そういうの(笑)。

坂本 CMソングの仕事とかも、いわゆる綺麗に歌うとかはできないんですけど、逆にそれが小学生らしいと受けてお仕事をもらってるかんじでしたね。そういう劇団だったので、「お仕事」という感じではなかったんですよね。みんなが塾に行ったり、ピアノのお稽古に行ったりするかんじで、私は演劇に関わってるっていう。

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おおすみ  へぇ。

坂本 月謝もビックリするぐらい安くって(笑)。10人ほどの少人数で、先生も一人でした。その先生が、社長でありマネージャーでもあったんです。それが肌に合ったみたいで大学卒業するまでずっといました。

おおすみ  それは、本当にいいところへ入ったなぁ。

坂本 そうですねぇ。そう思います。私を最後に子供をとらなくなってしまったんで、今ではもう「こまどり」はないんです。私はこの劇団に入ったことで、"演じる"とか、"歌う"とかいうことを、嫌いにならなかったんですよ。劇団のムードのお陰だったと思いますね。ビジネスと思ったことも、良い意味でも悪い意味でも大人になるまで思ったことがなくって、演劇が好きでいられる環境だったんですよね。本当にありがたいです。

(つづく)

:1  書き割り・・・臨場感のある町並みや山などを大きな板に描きつけて情景描写する舞台美術

:2  テアトル・エコー(wikipedia)

坂本真綾さん 略歴

東京都出身 1980年3月31日生まれ
血液型:A型

幼少より海外ドラマや映画の吹き替え、アニメの声優として活躍

15歳から本格的に音楽活動も開始し、各方面から高い評価を得ている

東宝ミュージカル「レ・ミゼラブル」エポニーヌ役は6年目に突入
女優、声優、歌手、ラジオパーソナリティ、執筆など多彩な才能を発揮し、活動を続けている

次回更新は1/27の予定です

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2008年1月27日 (日)

vol.2 舞台から逃れられない運命

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‐‐‐‐子どもの頃、飛行船のお芝居は何度も見に行かれてたのですか?

坂本 一作品につき何度も行ってましたね~。だからこそ、やっぱり劇中の歌も歌えたし、小さい頃は何度も行くものだと思っていました(笑)。やっぱり積み重ねで、身近にあった演劇は飛行船でしたからね。客席から観ることも、舞台裏に行くことも好きだったんですけど、なんか8歳の時に突然、舞台上から客席を見たいなと思ったんですよね。

おおすみ ほう。

坂本 自分でもわからないんですけど、朝起きて突然言ったんですよ、「演劇がやりたいなぁ」って。それはテレビで子役がお芝居しているのを見て、「こういう子はどうやって、テレビに出てるの?」と親に聞いたら「子供が入る劇団があるのよ」って。「あ、そうなんだぁ」って思ったんですよね。それで何日か後に突然「私もやりたい!」みたいな(笑)。でもテレビへの憧れではなくて、どちらかというと舞台への憧れでした。

おおすみ その頃から一貫して舞台なんだね。飛行船の責任も重いね(笑)

Dsc00349_2 坂本 そうですね~。でも実際は、舞台というものに立つのは随分後になってからで、吹き替えとかナレーションとか声の仕事が多かったですね。舞台に立つきっかけは特になかったんです。でも、なんて言うんでしょう、他に取り柄のない子供だったんですよ(笑)。勉強ができたわけでもないし、スポーツも得意じゃないし、得意なものが特になくって、何か自分で打ち込めるものっていうのは、ピアノとか一応習わされたこともあったんですけど、どれも長続きせず。で、自分で「やりたい」と言い出したものだけ続けられたっていうことですね。

おおすみ "宿命"なんて言葉使うと大げさだけど、物心付いた頃から舞台をそばで見てたんだから、そういう仕事の素質が育っていたのかもしれないね。

坂本 私より先に親は、いつか言うだろうとは思ってたみたいですね。

おおすみ あ~やっぱりね(笑)。

坂本 あまり驚かなかったですもん。小さい頃から飛行船のお芝居を見に行って、家に帰ってくると印象的なセリフとかをずっとマネしてました。あと、干してある洗濯物がピュ~っ飛んでいくシーンのある芝居・・。

おおすみ ああ、オズの魔法使い。

坂本 そう!その仕掛けを家で作ってマネしてました(笑)。テグス(注1)とか使って!

Dsc00320 おおすみ もう家にいるって感覚じゃないんだ実際に本番でやってもらえばよかったなぁ!(笑)。でも、ほんとうに家と舞台は地続きだったんだね。その頃は演じる側ではなく、裏方の方が興味があったのかな?

坂本 そうですねぇ、学芸会とかも好きじゃなかったですし、子供の時は前へ前へという性格ではなかったです。そういうことで演劇をやりたい、スポットライトを浴びたい、という気持ちとはなんか違ったんですよね。ひねくれた子供だったんですよ(笑)!自分でもよくわからないんですけどね。

おおすみ まぁ、子供の時からすり込まれていたのなら、他の職業は選べなかったかもしれないね。

坂本 あぁ、そうですね~。

おおすみ 中村鴈次郎さん、今は名前が変わって坂田藤十郎(注2)さんから聞いたんですが、どうやって歌舞伎俳優の息子達が、なぜみんなあれほどやる気に育つのか、厳しく仕込むっていうやり方だけではその反動で嫌になるってこともあるハズなのに、いつの間にか本気でやる気になっている。それはなぜかって聞くと、結局小さい時、物心付いた時に散々舞台を観させることだって。舞台を観ることが日常となり、楽屋に出入りすることが日常になったら、そこから逃れられなくなる(笑)。

坂本 あ~!じゃあ、私も飛行船の舞台からのすり込みだったんですね!舞台から逃れられない運命なんだぁ(笑)

おおすみ 僕は、子役使う映画を撮ってたんだけど、子役の寿命は、子役時代で終っちゃうことが多いんです。子役として知名度が上がれば上がるほど、そうなんだよ。僕がやってたテレビの「ケンちゃん」シリーズの主役の子も、作品がヒットして人気子役スターになっちゃたから大変でしたよ。結局大人になってからイメージチェンジがうまくできなかった。・・・その辺の苦労はあったんですか?

坂本 そうですね。そんな深刻なものではなかったんですが、子供であるだけでかわいいとか、子供らしいとかを求められてやっていた時には、無邪気にやっていても褒めて頂けたんですけど、だんだん歳とともに求められるものが高度になってきたんです。

おおすみ それは自然だね。でも、そういうケースって少ないんですよ。

Dsc00344 坂本 中学、高校くらいで初めて、もうちょっと何かやらなければいけないのかな?と思いました。でも、それ以外は、たとえば劇団の方針として学校は絶対に休ませないってのがあって、学生としての自分は普通に過ごせたんですよね。良くも悪くも、あんまり子役としてどうの、とか無いままにきましたね。

おおすみ ラッキーでしたね。どんなマネージャーがついているかで大きく変わってくる。子役をぎりぎりまで引っ張ってやれ、と引っ張りすぎちゃうマネージャーと、早めに脱皮を考えてあげるマネージャーとの違いが出る。

坂本 そうですねぇ。その時はわからなかったのですが、大人になってから"守られてたな"って思いますね。いわゆる芸能界と言われるところで仕事をする中で、学生としての時間を守ってもらえた、また進学したいと言えば環境を整えてもらえたし、物理的にも気持ちの面でも、両親や劇団の先生に本当に守ってもらってました。女優としてとかタレントとして成功することよりも、人として成長していくことを見守ってくれる人が周りにいたんだなと思います。

おおすみ 自分の歩調に周りが合わせてくれてるんだ。それは、すばらしいことだね。

坂本 そうですね、めぐり合いですね。運がよかった。

(つづく)

:1  テグス・・・釣りに使われる透明で引っ張りに強い糸。舞台にも使われる

:2  坂田藤十郎(wikipedia)

坂本真綾さん 略歴

東京都出身 1980年3月31日生まれ
血液型:A型

幼少より海外ドラマや映画の吹き替え、アニメの声優として活躍

15歳から本格的に音楽活動も開始し、各方面から高い評価を得ている

東宝ミュージカル「レ・ミゼラブル」エポニーヌ役は6年目に突入
女優、声優、歌手、ラジオパーソナリティ、執筆など多彩な才能を発揮し、活動を続けている

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2008年2月 3日 (日)

vol.3 声優のタレント性

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‐‐‐‐真綾さんは、はじめ吹き替えの仕事が多かったようですが、吹き替えのお仕事を楽しんでましたか?

坂本 吹き替えはすっごく好きですね。今でも好きです。やっぱり数として一番やってきたのは吹き替えのお仕事ですし、ホームグランドってかんじがします(笑)。他にいろんなことやってますけど、吹き替えのお仕事が一番落ち着くというか、自分のペースで考えられます。

‐‐‐‐舞台に立ちたいという思いは子どもの頃からありましたか?

Dsc00338_4坂本 舞台の仕事がどうしてもやりたいということも無くて、吹き替えという仕事もやってみるまで、知らなかったです。シュワルツネッガーは、テレビのあの声だと思ってましたから(笑)。こんな仕事があったのかという面白さと、すごく職人芸という感じがありました。現場では、沢山の人がマイクを入れ替わりで使ったり、耳で聞きながら、映像を見ながら、台本を見ながら台詞を言う。レコーディングなんでやり直しもできるんですが、基本的には、みんなその場で一発勝負って思ってやる緊張感ってのは凄く職人芸だな、職人が技を出し合う場だなと。昔は今より賢い機械じゃなかったんで、子供でもNGを出すと、他の人のセリフからやり直しとかあるのですごく緊張するし、普通に怒られましたね。そういう中で鍛えられていくのが好きだった。追い込まれるのが好き?みたいな(笑)。

‐‐‐‐みんなが出てきて、一斉に技を出し合うという点では、舞台とそんなにかわらないのかもしれませんね。

坂本 最近は色んなものをひっくるめて"声優"という職業がひとつのジャンルになってきていますよね。だけどもともとは、私はやっぱり裏方の存在だと思うんですよ。映画が主役であって、その映画で演じている俳優さんがメインであって、それを日本語に直す時に必要なんですよね。自分を主張する場でもないし、その映画に添うってのが大事だと思うんです。今、"声優"がタレントっぽい印象になってきているのですが、私の思う"声優"という仕事は、またちょっと違うんです。それが、裏方好きとして育った精神に合ってるのかも知れません(笑)。

おおすみ 声優がタレント扱いされるようになったのは、アニメーションのせいです。クリント・イーストウッドが出てくると山田康雄(注1)さんの声で当たり前だった。ところがルパン三世で、みんなが山田康雄を知るようになった。なぜそうなったかって言うと、アニメの場合はキャラクターが実在してないでしょ、でも、どうしても目の前にあるものと繋がりたいという観る側の思いがあって、それを体現してくれるのが声優さんだった。だから声優さんの人気っていうのは、アニメのキャラクターのイメージを代行しているんです。アニメでヒットする役をやった人が、表へ出てくるきっかけになる。でも随分見た目が違ってたりする場合も特に男の場合は多いんだけどね(笑)。・・・でも、山田康雄さんはルパンに似てたかな。

坂本 日本の誰もが知ってるキャラクターの声優さんとかに、ちょっとでも声をやってもらえるとうれしいですよね~。

おおすみ アフレコという仕事の捉え方なんか聞いてると、ずいぶん年配の人と話しているような気がするなぁ(笑)。さっき、声優を裏方と認識した子供の頃の記憶があるっていったでしょ?そういう認識を持っているのは、声優さんの中でもかなりのベテランだ。ま、キャリアからいうと年配者の仲間なんだね。

坂本 そうでしょねー。そうだと思います。

Dsc00371 おおすみ 今頃の人はみんなウソだと思うだろうけど、昔は声優さんにカメラ向けたら怒る人多かったんだよ。俺は顔出す役者じゃねぇって。取材やインタビューなんか応じなかった。

坂本 そうですねぇ。

おおすみ 共感してますね(笑)山田康雄さんなんかも最初の頃そうだった。アフレコをやると自分が本当にクリント・イーストウッドだと思われたい。その方が名誉だと思ってるわけです。そういう人たちが声優をやっていた。それが、いつのまにか表に引っ張り出されるようになった。この頃から声優になった今の人たちは、カメラ向けられたらニコッとできる。

坂本 (笑)

おおすみ でも、その両方の時代を知っているのは、相当のキャリアだね。

坂本 (笑)そうですねぇ。私も古い考え方の人間なんで、職業として、声優さんというものと、歌というものを一緒にしたくないんですよね。

‐‐‐‐それは、どういうことですか?

坂本 私の中での、歌のお仕事っていうのは、お仕事っていうよりも、表現の一個のツールであって、自分で歌詞を書いて、自分の名前で歌うものなんです。だから、基本的にキャラクターソングは歌わないです。

おおすみ 今は、声優も歌も写真もパッケージになっちゃったからね。特に主役級の配役ではそういうパッケージでしか仕事が成立しなくなってきてる。

坂本 そうですね。私の場合は表現方法として演じるという仕事以外の部分でも、詩を書いたり、エッセイを書いたりするんですけど、自分の中でバランスを取りながらやっています。特に役を演じていない、素の私が出る文章や歌詞の世界観からは、私の不完全な部分も含めて同世代の人たちに等身大の様子を見守ってくれればなぁと思います。そしてステキな30代を迎えたいと思います(笑)!

‐‐‐‐どんな30代になりたいとかありますか?

Dsc00331_2 坂本 やっぱり仕事は好きですね。私の周りにステキな30代の女性が多いんですよ。みんな好きなように仕事していたり、どんどん綺麗になっていったり、でも一人も結婚していない(笑)。私、結婚したいけど、仕事と両立できる人は身近にほとんどいないなぁ、みんな働きすぎ~!みたいな(笑)。私としては、働いて常に輝いていたいんですけど、ゆくゆくはやっぱり結婚して子供も欲しいなという、普通の乙女としての夢もありますし(笑)。どうなっていくのやら、わかりませんが。

‐‐‐‐舞台や、書いてる文章、もちろん歌もそうですが、やってらっしゃる幅広い仕事は、この先、ひとつに統合されていく感じですか?それとも、もっと広がっていくかんじですか?

坂本 どうなんでしょう。あまり広げようとは考えてませんね。どっちかっていうと深く深く掘っていきたい感じです。今やっているいろんな事っていうのは、ひとつやるとこっちにも生きてきて、相互作用で役に立って、筋トレみたいにあっち鍛えてこっち鍛えてというかんじですね。この仕事で得たものが、今度は何かに役に立つというのがすごく楽しくって、ひとつに絞ろうとかいうことは考えてないです。ただ、いっぱいやってるから、どれも中途半端になっちゃうのがイヤで、全部を掘るというのが私の貪欲な願いです(笑)。

おおすみ すべてを総合的に掘り下げるとすれば、やはりミュージカルしかないかな、お話を伺って飛行船のマスクプレーミュージカルが与えた影響と責任を感じますね。

坂本 そうですね(笑)

‐‐‐‐今日はわざわざ私どものサイトへお越しいただき有難うございました。

:1  山田康雄(wikipedia)

坂本真綾さん 略歴

東京都出身 1980年3月31日生まれ
血液型:A型

幼少より海外ドラマや映画の吹き替え、アニメの声優として活躍

15歳から本格的に音楽活動も開始し、各方面から高い評価を得ている

東宝ミュージカル「レ・ミゼラブル」エポニーヌ役は6年目に突入
女優、声優、歌手、ラジオパーソナリティ、執筆など多彩な才能を発揮し、活動を続けている

次回ゲストはアニメーターの大塚康生さん
公開は8月中旬の予定です。お楽しみに!

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2008年9月 4日 (木)

vol.1 楽しかったムーミンの制作現場

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‐‐‐‐まず、大塚さんはどういういきさつでムーミンに出会いましたか?

大塚 僕は東京ムービーで『ルパン三世』をやるということで、説得されてムービに移って来たんです。そしたら、先に『ムーミン』って企画あるんだけどって、ルパンの準備で一緒だったおおすみさんを紹介されて。
いまムーミンブームが再燃で、原作者のトーべ・ヤンソンが一番はじめの私たちがつくったアニメのムーミンは認めないって言ってると噂されていますが、僕自身は原作のキャラクターを変えたっていうつもりはなかったんですが・・・。
今、インターネット見ると、原作と似てるか似てないかが基準になる。昔はおおらかな時代だったから今とは違うんですね。

‐‐‐‐おおすみさんは?

おおすみ 当時、僕は人形劇をやっていたので、ムーミンの原作は知っていました。山室静さんの翻訳が良くてね、特に「ロンリーマウンテン」を「おさびし山」と訳すセンスは大好きでした。でも、内容は静的すぎて劇化にはとても無理と思っていました。
それが、アニメ化の話があり、代理店に呼ばれて出席した企画会議は、おどろくべきものでした。『ムーミンにいつも空気入れを背負わせて、何かあるとムーミンはぺったんこになる。ペラペラの紙になって、空気を入れると元に戻る。いいアイディアでしょ?』とか、当時、子供たちには新幹線ブームだったんですけど『新幹線をムーミン谷に通したらどうでしょう?』とかね。もうムチャクチャ(笑)。おそらく原作も読まず、キャラクタービジネスだけが念頭にある人たちだったのでしょう。ただでさえアニメ化しにくい原作なのに。
すっかり意気消沈して、もう辞めよう決意し、会社に戻ったら大塚さんが作画監督に決まっていた。

‐‐‐‐そこで大塚さんと組むことに?

おおすみ 「いえ、劇団もルパンの準備でしばらく留守にしていたし、ルパン三世が再開するまで、しばらく休ませて欲しいと、藤岡プロデューサ(注:1)を説得し、僕が席を立って帰りかけたら、大塚さんが『おおすみさんちょっと待って、これを見て』って。紙をちぎりはじめて、何枚かに続けてさらさらと絵を描きはじめた。すると、ムーミンがぐにゃぐにゃと動いたんです。
それまで、絵を描いて説明する人はいたけど、その場で、「動き」を描いてみせるアニメーターは初めてでした。大塚さんの似顔絵がぐにゃぐにゃっとムーミンに変形いくという、ただそれだけの動きですが、それが良くてね、この人とならムーミンをやれるかも、という気になったんです。
僅か数枚の紙切れの絵が、私の人生を大きく変えてしまった(笑)大塚マジックにかかってしまったんです。 

R0012225大塚 一寸誇張が入っていますが(笑)現場も楽しかったですよね。

おおすみ 楽しかったなぁ。ムーミンはアニメとして前例の無いジャンルを作る作業だったんだけど、現場にはそういった緊張感を忘れさせてくれる開放感と楽しさがあった。コンセプトと同時平行でビジュアルを作っていったというのは、あの現場だけですよ。大塚さんとの共同作業で、ムーミンのビジュアルイメージは、どんどん広がった。たとえば、『このやり方は舞台では成功したが、アニメでは無理かな?』と迷ったものも、大塚さんの手でさらさらーっと描かれると、『出来る!』と確信する。そんなキャッチボールができたんです」
大塚さんや芝山、小林さん、そういった作画の人と非常に近い距離で一緒に仕事をしたという実感が、濃厚に残っていますね。ムーミンには。

‐‐‐‐コンテンツに関しても順調でしたか?

おおすみ 『空気入れ』や『新幹線』は、さすがに影を潜めましたが(笑)、話がストイックすぎるという代理店のクレームはありましたね。でも公開されると、予想以上に好評な反響があって、特にスポンサーのカルピスが大変気に入ってくれて、それに押されたように、強いクレームは引いていきました。

大塚 ほんと、好評だったですね。

:1  藤岡プロデューサ・・・故藤岡豊さん。東京ムービーの創設者。日本のアニメ界への功労は高く評価されている (wikipedia)

大塚康生さん 略歴

1931年島根県生まれ
東映動画アニメーター第一期生。日本におけるアニメの創生期から第一線で活躍。

宮崎駿さん、高畑勲さんの先生であり、まさに日本の近代アニメーションにおける礎。アニメーターの父と云うべき人物。

元麻薬Gメンという異色の経歴を持ち、軍用車両に造詣が深く、ジープマニアとしても有名。

現在は一線を離れ、スタジオジブリや東映アニメーション研究所などで後進の指導にあたっている。
日本アニメーター・演出協会 (JAniCA) 会員。

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vol.2 ムーミンが高畑勲さんと宮崎駿さんを踏み切らせた

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大塚 結局ムーミンに惹かれて、宮崎駿さんや高畑勲さんもAプロ(注:2)に移って来てくれました。

‐‐‐‐え、そうなんですか・・

大塚 ムーミンを見てこういう企画の作り方もあるんだって、僕たちもやりたいと思ったのです。

おおすみ 少し前から、藤岡プロデューサが、高畑さんや宮崎さんがAプロに来るぞ、来るぞって言ってたんだけど、ひょっとしたら来ないんじゃないかっていう雰囲気もあった。しばらく来なかったのは、彼らが当時いた東映を離れるのをなにかためらっているのでは、と思ってたんですが・・。

大塚 当時、東映では僕を含めて新鮮な企画が通らなくなっていましたから。

おおすみ ちょうどその時期、ムーミンの放送が始まった。それを東映にいたころ観てたんですね。

大塚 そう、・・ムーミンは東映で大騒ぎになったらしいです。僕は立ち回りや大きいもの、怖いものは得意だけど、可愛らしいものは苦手だと思われてたので大塚さんだって、あんな可愛らしいものが描けるじゃないかって評判になったそうです!それで宮崎、高畑、小田部さんが、3人ともムーミンを見て、Aプロに行こうと。あそこなら可能性があるって来たんですよ。

おおすみ そういう経緯があったんですか。

大塚 結果としてムーミンは手伝えなかったけど、ルパンの後半あたり手伝ったよね。

おおすみ ええ・・たしか匿名ということで。

大塚 ルパンは彼らのやりたい企画じゃなかったんでプロデューサーが自分たちの好みに合う企画を立ててくれないと手も足もでないでしょ、それでそのあと高橋さん(瑞鷹エンタープライズ)のところに行って、ハイジや三千里をやったんですよ。

おおすみ 宮崎さんや高畑さんたちの出入りが、そういう経緯だったとは知らなかったけど、ムーミンという作品に惹かれたのは、なんとなくわかるかな・・・あの時期、僕もね、舞台の仕事も含め、ある大きな壁ぶつかていて、ムーミンを創ることで救われたことは確かなんですよ。それは何かっていうと、社会主義リアリズムなんですよ。こんな言葉今では流行らないけど。つまり、悪をきちっと階級悪と設定して、その悪を倒すのは、ヒーローじゃなくて、団結だと。今考えると、非常にナンセンスなんですけど、硬直したね、社会主義リアリズムが僕らの中にどっぷりありました。

R0012260大塚 ありましたね。そういう時代だったからね。

おおすみ その突破口にムーミンという企画がきた時に、原作のトーベ・ヤーソンが怒ったのは当たり前なんですけど、原作そのものはアニメーションにするにはすごく遠い作品だったんです。原作の世界をアニメの世界に持ち込むためにどうするかって考えたときに、これにはまったく参考がないなと、ディズニーまで含めてね。

大塚 そうですね。

おおすみ ああいう世界はアニメに例がないと。これはどうやったら、スタッフに浸透していくだろう…と思った時に、ご本人 を目の前にしていうのは初めてだけど、大塚さんの理解力ってすごいなってと思いました。今までにないものを提示したんですから。

大塚 そうじゃなくてね、僕はAプロに、巨人の星の手伝いとルパンの準備っていうことで行ったら、ポンと出てきたんですよ、ムーミンが。おおすみさんと出会って、人形劇の舞台で子どもたちの反応をよく見ているおおすみさんの意見がものすごく新鮮だったんですよ。なるほど!と。演出家って大きく二種類あって、思想家であると同時に技術、絵コンテが描けたり出来るタイプ。もう一つはアニメーションの技術をマスターしてなくても映画作りの勘所を抑えられる人、そう思うと二つでしょ?どっちかひとつでいいんですよ。コンテなんてあとでもいいんですし。おおすみさんは、ものすごく言葉を使うわけ。ここがこうで、ああで、面白いぞー、楽しいぞーって。大量の言葉でコンテマンやアニメーターを折伏する能力には驚きました。かって会ったことのない演出家で、話を聞いているだけで面白い映画の予感がありました。そこで精力を使い果たし『あとは任せたよ』つってね(笑)。

おおすみ 僕が面白かったのは、しゃべったことがリアルタイムで絵になっていったということですね。

大塚 (笑)それはテレビアニメーションの原点で、直ちに視覚化することで演出家とイメージを共有出来ますから。素早く描かないと意味がない」僕や宮崎さんはそういった訓練をしてきていたのです。

:2  Aプロ・・・東京ムービーの制作プロダクション

大塚康生さん 略歴

1931年島根県生まれ
東映動画アニメーター第一期生。日本におけるアニメの創生期から第一線で活躍。

宮崎駿さん、高畑勲さんの先生であり、まさに日本の近代アニメーションにおける礎。アニメーターの父と云うべき人物。

元麻薬Gメンという異色の経歴を持ち、軍用車両に造詣が深く、ジープマニアとしても有名。

現在は一線を離れ、スタジオジブリや東映アニメーション研究所などで後進の指導にあたっている。
日本アニメーター・演出協会 (JAniCA) 会員。

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vol.3 原作者トーベヤンソンとムーミンの時代背景

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大塚 やっぱりね、ムーミンの原作にあったノーマネー、ノーカー、ノーファイト(注:3)のあの世界を、原作とはちょっと違うかわいらしいキャラクターにする、キャラクターを変えようっていう判断はあの時代においては確実に正しかったと思いますね。

おおすみ 僕はね、今、一番残念なのは、今さらどうしようもないんだけど、トーベ・ヤンソンと膝を交えて、話しをしとくべきだったと後悔しているんです。彼女と話をちゃんとしたらわかりあえただろうなと。

大塚 それは本当そう思いますね。

R0012256おおすみ ノーマネー、ノーカー、ノーファイトは、ムーミン見てもらうとわかるけど、まさにその思想で作っているんですよ。第6話見てもらうとわかるけど、クラシックカーがでてくると、すぐパンクする。パンクの修繕からはじまる。スノークがいろんな文明を持ち込もうとするけれど、全てが失敗している。そういうテーマで一貫している。テーマはノーマネー、ノーカー、ノーファイトなんですよ。だけど、表現のレベルでは、ビジュアルとして車はでてくる。それはくるま社会を否定するためにというドラマの初歩的な手法を使っているんで、ヤンソンさんは本当はわかってくれてるはずだなと信じてた。

大塚 キャラクターが違うとかね、筋の組み立てが違うとか、ヤンソンさんがお怒りになったことはよくわかるんだけど、僕らとしては、あのままだとあんまり静かすぎて、ドラマにならない。日本的なキャラクターと起伏のある筋立てでないと世間に出せない、ドラマに書き換えたのは、松田さんといったけ、とか、特におおすみさんの力が大きかったと思うんですよ。

おおすみ ラルス・ヤンソンという原作者の弟さんが描いたムーミンのコミックス版があります。代理店から参考までにと届けられたので目を通すと、実に自由にアレンジしている。それが一つのよりどころになった。僕らのアレンジもそのコミックス以上にははみ出していないという自信があった。だからテレビ化は絶対大丈夫だろうと。あとになって、弟さんののコミックスにも原作者は不満があったとか聞いたけど、テレビ化が決まると、そのコミックスの日本語版の出版が許可された。それは今でも流通しているわけですよ。身近にいる弟だから辞めろといえたのに、その後も長期にわたってに描かせていたということは、どういうことなんでしょうね。神経質ではあるが、意外に懐の広い人かも、と・・。

:3  ノーマネー、ノーカー、ノーファイト・・・お金、車、戦いを描かないという意味

大塚康生さん 略歴

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東映動画アニメーター第一期生。日本におけるアニメの創生期から第一線で活躍。

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元麻薬Gメンという異色の経歴を持ち、軍用車両に造詣が深く、ジープマニアとしても有名。

現在は一線を離れ、スタジオジブリや東映アニメーション研究所などで後進の指導にあたっている。
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vol.4 アニメは原作者になにをフィードバックしたのか?

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大塚 ヤンソンさんも作家として、僕らのアニメが向こうでヨーロッパで流れて人気が出て見直したんですよ。アニメが押し寄せて、フィンランドも、イギリスでもパリでも大人気になったから。

おおすみ 海外で放送禁止だったんじゃないんですか? 僕らが作った東京ムービー版のムーミン?。

大塚 放送もしてましたし、いわゆる海賊ででまわって、一気に出る。今は、海賊で野放しに出て行きますから。

おおすみ ヤンソンさんがOKしたという『楽しいムーミン一家』。あれしか海外に出せなかったというのはうそですか?

大塚 うそですよ。

おおすみ えー!そうですか。
ちょっと裏話みたいになるのですが、フィンランドにあるムーミンミュージアムの中に、ムーミン谷のセットがあって、シンボル的なムーミンの像が立ってるんですよ。ヤンソンさんが、亡くなる直前まで手を入れて満足して完成させたといわれているものです。やっぱりヤンソンさんも、テレビの影響を受けていたんでしょうね。どういう経路でそうなったかわからないけれど、そのムーミンのキャラクターは明らかに大塚さんの描いたムーミンの影響が出ているんです。頬の線が、目の形を変える、頬の線がすっと入っていて、目があるというのが大塚さんの絵でしょ。トーベ・ヤンソンの挿絵はもっとイラスト的な2次元優先の、あえてペタンとした絵を描いていた。

R0012249大塚 アニメーションは、動かすことが前提ですから、微妙なニュアンスだけでできた絵は無理なんですよね。目なんか、こう丸いけど、ちょっと上を切っただけで悲しそうな顔になるし。

おおすみ 変化することが前提ですね。しかも瞬時に見分けがつくこと。特に小さな子どもに見せるために、ムーミンのお母さんにエプロンかけて、ノンノンにリボンをつけ、スナフキンにはかつらをかぶらせて、ひと目でわかる仕分け、あれはかなり試作し、検討した上での、意図的な採用でしたよね。

大塚 意図的って言えば、ヤンソンさんは、ちょっと見たところでは区別のつかない絵を狙って描いているんですよ。よく見れば、わかるみたいな。

おおすみ お互いプロとしての領域がある。その上で、お互いいい影響を与え合えれば理想ですよね。90年版の『楽しいムーミン一家』でしたっけ。日本に来てヤンソンさん自身が監修した。あれでもね、スノークがあの鬘を被ってましたよね。あれは僕らが苦肉の策で採用したものです。裁判所でスノークが一度っきり被った裁判官の鬘でした(笑)。それを彼女は採用した。

大塚 そうでしたよね。彼女ね、ずいぶんテレビの影響を受けてると思う。ムーミンの存在がテレビで世間に知られてから。テレビで人気が出て、世間に認知されれば、動かせないでしょ。モンキー・パンチさんもそうですよ。ルパン描いてて、大塚ルパンに似ちゃうっていうんですよ(笑)。

大塚康生さん 略歴

1931年島根県生まれ
東映動画アニメーター第一期生。日本におけるアニメの創生期から第一線で活躍。

宮崎駿さん、高畑勲さんの先生であり、まさに日本の近代アニメーションにおける礎。アニメーターの父と云うべき人物。

元麻薬Gメンという異色の経歴を持ち、軍用車両に造詣が深く、ジープマニアとしても有名。

現在は一線を離れ、スタジオジブリや東映アニメーション研究所などで後進の指導にあたっている。
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vol.5 ビジネス戦略が一人歩きした

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おおすみ あと、もう一つ、僕らムーミンのスタッフは、もともとルパン三世を準備していたチームで、ルパンのテレビ化が決定するまでの期間内に、2クールだけの約束でムーミンやったんです。だからルパンが決まったら、戻らざるを得なかった。今思えばね、広告代理店にしても、何らかの理由付けが必要だったと思う。だって、製作プロダクションが一方的に降りたなんて話は前例が無いし、クライアントを始め、各方面に対してなんらかの理由付けが必要でした。トーベ・ヤンソンが怒ったって話が非常にリアルな話で伝えられているのも、それを拠り所として強調したからですよ。これまでのムーミンが間違っていたから、プロダクションを変えた、と云わざるを得なかった。

R0012267大塚 当時、高橋さんはね、プロダクションを変え、キャラクターを描きなおしたのは、もっと原作に近づけるため、と宣言してた。

おおすみ 僕らがやめたので、周囲を納得させる理由が必要になった。捨てられたというわけにいかないから、ヤンソンさんを口実に、前作を否定して、新しいムーミンを作りますと、PRせざるを得なかった。そう考えると非常によくわかりますよ。

大塚 アロで電通の当時の担当者だった町田さんが東京ムービーに入ってきていろいろ聞きましたが、高橋さんはオリジナルに戻そうとした。で、やってみたら、あ、これは売れないって思った。

おおすみ そのマーケティングの中にトーベ・ヤンソンさんのクレームも誇張して利用されたという気がしますね。放送時、視聴者にはかなり評判がよかった東京ムービー版のムーミンを、なぜ変えたかっていうことに関して、ロジックを作らざるを得なかったんですよ。実は、あれは全部ダメだと。自分たちがダメだと思うだけじゃなくて、トーベ・ヤンソンさんも認めていないと。だから改めて新しいムーミンを作る、といわざるを得なかったんです。

‐‐‐‐でもその話だけは大きく残っちゃってますね。

R0012307 おおすみ 製作中は、トーベ・ヤンソンからの苦情は原作者として当然という程度に伝えられていたけど。全面的に否定だと聞かされたのは、ずっとあとでした。
今でも、テレビ嫌い、アニメ嫌い、の文学至上主義者たちが、このクレームの出所を確かめずに、騒いでいるように思えます。おそらく、この人たちは私たちの作品を見ていないでしょう。見た上で作品として、批評してくれるなら良いのですがね。

大塚康生さん 略歴

1931年島根県生まれ
東映動画アニメーター第一期生。日本におけるアニメの創生期から第一線で活躍。

宮崎駿さん、高畑勲さんの先生であり、まさに日本の近代アニメーションにおける礎。アニメーターの父と云うべき人物。

元麻薬Gメンという異色の経歴を持ち、軍用車両に造詣が深く、ジープマニアとしても有名。

現在は一線を離れ、スタジオジブリや東映アニメーション研究所などで後進の指導にあたっている。
日本アニメーター・演出協会 (JAniCA) 会員。

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vol.6 大塚さんのムーミンへのこだわり

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大塚 またムーミンやるということはできるんですよ。でもライターとかね、演出家とかね、難しい。アニメーターも今のアニメーターでは無理ですね。コレ見るとわかると思うんですけど・・

R0012279_2

おおすみ ココだけ見ててもね、平面からはじまった絵が、くるっと向いて、立ち上がると、もう立体に見えるの、丸みが。このキャラクターの丸みが今の人には出せないでしょ。シャープだけど平面的で、切り抜きの絵のようになってしまう。

大塚 これで3枚使っているんですよ。丁寧な仕事をしているんです。芝さんも小林さんも一コマ。こういうちょっとした技術がね、たいした枚数使ってないですよ。仕上げの手間も考えてね。

おおすみ なるほど。

大塚 一コマ、一コマ丁寧に描いているでしょ。ね。

おおすみ かなり、枚数を使っているようにみえますね。

大塚 いや6000枚ぐらい。水なんかもきれいに描いてたからね。まだ、CGに頼っても、こういう雰囲気は出ないですよ。やわらかさとか。結構丁寧にやっている。

‐‐‐‐ムーミンで大塚さんが意識されたのは?

大塚 かわいく。それは動きのかわいさだったり、絵の丸みね。

R0012271 おおすみ 手が後ろに回りそうな丸みと、やわらかそうな質感が良く出ていますね。

大塚 何と言うかな、デティールとか、丁寧に描いているんですよね。基礎があるから。簡単に描いてもできるんですよ。

おおすみ 今、はやりの同人誌マンガなんかね、丸いキャラクターなのに、少しでも直線を使いたがる。あれ何なんでしょね。

大塚 何なんだろうね。僕らは直線を嫌ったからね。直線を絶対使うな。

おおすみ もともと有機体のもつやわらかさをね、不自然でも直線を入れることで、イラスト的なカッコよさを狙おうってことかな。

大塚 僕なんかね、ルパンでも柔らかくしたんだけど。

おおすみ モンキー・パンチだって、コンセプトは尖がっていても、絵は柔らかい、基本的に丸いですよ。

大塚 でも、今のルパン見ていると、ここぞとばかりに直線を使っている。モンキー・パンチは直線の世界だと思い込んでいる。

大塚康生さん 略歴

1931年島根県生まれ
東映動画アニメーター第一期生。日本におけるアニメの創生期から第一線で活躍。

宮崎駿さん、高畑勲さんの先生であり、まさに日本の近代アニメーションにおける礎。アニメーターの父と云うべき人物。

元麻薬Gメンという異色の経歴を持ち、軍用車両に造詣が深く、ジープマニアとしても有名。

現在は一線を離れ、スタジオジブリや東映アニメーション研究所などで後進の指導にあたっている。
日本アニメーター・演出協会 (JAniCA) 会員。

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vol.7 ムーミンとルパン、作画へのこだわり

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大塚 ルパンの時もね、次元が傍受しているときに、ルパンがね、こうやって座っているポーズかいてあったのね。

おおすみ いまだに講義に使っています。とにかくリラックスしたポーズ。そういうことをかなり徹底して追及した後で、ムーミンをやったから、自分たちとしては、新しいことにチャレンジしていったわりに、あんまり苦しまなく、ルパンより楽しめたかなと。リラックスしているが、手持ちで勝負せず、新しいことをやっている、非常にいい経験でしたね。

R0012247 大塚 リラックスしてましたね。ムーミンでもおおすみさんとの打ち合わせって、言葉いっぱい使うんですよ。僕はちょちょっと直しながらね、やり取りして、その後は来たり来なかったりなんですよね。

‐‐‐‐打ち合わせの時は集中して、後の現場で描かれているときには来ない?

大塚 その前に、絵コンテの打ち合わせをしているでしょ。ものすごく集中して。『あとは、任せたよ!』っていうのはありがたい。

おおすみ 脂汗ながしたのは、脚本家との打ち合わせです。全26話中の20話のほとんどのストーリーを作りました。シナリオをそのまま使ったのは、雪室俊一さんの1本だけでした。あとは録音監督の田代さんとつるんで、アフレコ役者いじりや音作りのテストに打ち込んでいました。ま、弁解がましいですが、その割には作画現場にはよく顔を出しましたよ(笑)。

大塚 おおすみさんには、これはこうだと説明したら、わかってくれる。東映の演出家といろいろ出会いましたけど、おおすみさんは、『大塚さんこうお願い』って全シーン任せるの。ありがたかった。コンテのようなのいっぱい描いてね。いいな~変える必要ないね、とかね。

おおすみ 確かに、打ち合わせまでは真剣にやったけど、打ち合わせの後は開放されて。現場に顔出すのは、邪魔しに行くという感じでしたね。舌なめずりで乗り込んでいくというか。(笑)

大塚 おおすみさんはプロデューサに近い。 R0012251

おおすみ 演出はやってみせちゃダメなんですよ。役者相手でも新人になら、こうやってとやって見せることはあっても、ベテランの役者さんに、こうやるんだよっていうと、モチベーションが下がる。アニメでも描いてみせる演出家はいますけど。、僕はとにかく『何を』は云っても『如何に』は云わない。そのためのプロが相手ですから。

大塚 ルパンではね、もうちょっとつっぱなしてね、馬鹿みたいにやってください、みたいなポーンと離した感じでしたね。いろんなことを、理屈抜きみたいな演出をやってくれた。

‐‐‐‐『馬鹿みたいなことをやってください』と言った後は、大塚さんの自由に?

大塚 自由です。

おおすみ 何回も打ち合わせで方向性は話しているからね。大塚さんもね、弁も手も立つから、あいまいなことを云うと、見逃してくれない(笑)。何をやるかがお互い見えてたから、後は現場に遊びにいって、あれダメ?、じゃこれは?っていうぐらいですんだ。

大塚 ルパンでお互い理解しあってたのがアンニュイな世界ですね。

R0012245おおすみ アンニュイは言葉で、絵ではないですね。大塚さんじゃなかったら違う提案をしていたと思うな。長浜さんは巨人の星で、日本人独特の、耐えに耐えることでテンションを高め、バーっと爆発させるっていうのをやってたの。でも僕は、ルパンではこれと同じ方法は使えないと。止めておいてバッとアクションを起こすのは同じだとしても、執念や怨念を溜めて爆発へ持っていく、という世界ではない。むしろアクション直前までは、だらんと抜けるだけ抜いたダルな気分でいて、突然、パッとと行動に移すのが、プロフェッショナルな動きになるんじゃないか。そう思っていたら、大塚さんは本当にそういう絵を描いてきた。

大塚 実はあれ、東映で「風のフジ丸」(注:4)のとき実験していたんです。楠部さんのロボットみたいに硬直した立ち姿を一方の足重心をかけ、反対の肩を少し落として余裕のある姿勢を到るところに持ち込んだのですが、回りからはあまり理解されませんでした。今の若い人は、力抜いた絵、リラックスした絵、たとえば、3人んがテーブルを囲んで、椅子に座っていて、3人とも違う雰囲気が描けないんですよ。アンサンブルができない。新入社員みたいにコチコチになって並んでいる絵しか描けない。アンサンブルが描けないっていうのは、人間の構図が描けないってことで、全体として貧しくなっています。

おおすみ モンキーさんの絵でも、ルパンがただ立ってる絵なんだけど、片手をポケットに突っ込んで、もう片方の手を柱に置いて、力抜いた形でね。そういうキザっぽさは、歌舞伎以来の日本的メリハリの緊張型ポーズとはちょっと違う。
ルパンと次元が無線で最初に会話するシーンは、その代表として今だに講義に使っています。

大塚 あれは衝撃的だったみたいですよ。若い人に。ああいうことがなぜ真似できないのか。

おおすみ それなりには引き継がれてはいますよ。

‐‐‐‐記憶に焼き付いてますものね

大塚 引き継がれているのは、銀ぎつねの時計(ルパン三世TV第1シリーズ第10話 ニセ札つくりを狙え!)の最後に長い殴り合いがある。あれ宮さん、『紅の豚』のラストで使っているよね。

おおすみ あれ、その前があったでしょう。僕はジョンフォードの『静かなる男』をモデルにして。ムーミンとスノークが殴り合いを始め、日が暮れても延々と続けていて、周りがワーッとなっているあのばかばかしさを、殴りあいながら、身構えないことで強調したんです。

R0012249_2 大塚 実はルパンも、影響をあたえているんですよ。おおすみさんはまじめな人だけど、不まじめな人への理解があるよね(笑)。宮崎さんはとことんまじめな人だからね。ああいう不まじめさを学びとっているんですよね。彼もルパンでは学んだと云ってる・・公式には言ってないけどね。
面白いんですよ、ルパンは。当時、やらざるを得ない状況でね。ペンネームでやって、バレてからもあまり語らないですね。宮崎、高畑はルパンを手伝ったってことを自分の経歴の中に入れていないね。おおすみさんが残したストーリーを終わるまで見てますから。それを組み替える作業をやっただけ。という認識があるでしょう。

おおすみ 大塚さんがやるのに断る理由はないでしよ。宮崎、高畑さんは、ただそこにいたから頼まれただけかも知れないけれど、大塚さんがやるかやらないかは、ルパンが同じ番組になるかならないかの重要ポイントですから。

大塚 あの時は僕しかいないですよ。ルパンを守れるのは。柴山も小林もほかの作品やってて戻ってこれないしね。

おおすみ しばらくは、大塚さん何で引き受けたんだろうって思っていましたよ。10年ぐらいルパンには触れたくなくて、インタビューも受け付けなかったんですよ。でも、あれから少しは大人になったようで(笑)、大変迷惑をかけたなと、今は素直に感謝してますね。高畑、宮崎さんにも。

:4  少年忍者風のフジ丸(wikipedia)

大塚康生さん 略歴

1931年島根県生まれ
東映動画アニメーター第一期生。日本におけるアニメの創生期から第一線で活躍。

宮崎駿さん、高畑勲さんの先生であり、まさに日本の近代アニメーションにおける礎。アニメーターの父と云うべき人物。

元麻薬Gメンという異色の経歴を持ち、軍用車両に造詣が深く、ジープマニアとしても有名。

現在は一線を離れ、スタジオジブリや東映アニメーション研究所などで後進の指導にあたっている。
日本アニメーター・演出協会 (JAniCA) 会員。

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vol.8 岸田今日子との出会い

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‐‐‐‐なぜ岸田今日子さんをムーミンの声優に選んだのでしょうか?

おおすみ 岸田今日子がムーミンの原作を読んだ、という小さなコラムを新聞で見たのが記憶に残っていて、企画に上ったとき、岸田さんをイメージ配役として出したんです。すると、名前を利用できると思ったのか、広告代理店が飛びついたんですよ。あとはバランスとるために、知名度より実力のある声優をと考えました。スナフキンの西本裕行さんを探したのは音響監督の田代さんで、ムーミンパパの高木均さんを探したのは僕。劇団『仲間』の友人の芝居を見に行ったら彼が出ていた。芝居終わった後、ロビーで『よかったですよ』って言ったら、初対面なのにチューインガムをくれた。それが、そこに落ちてたやつ(笑)。で、彼のワーゲンで家まで送ってもらった。その頃、彼は日活の映画で凶悪な悪人役で、素っ裸で人を撲殺するような怖い役ばかりやっていたが、私はチューインガムとワーゲンの印象で決めた(笑)。
R0012305アフレコは初体験でした。今までアフレコをやったこともないような人が、岸田さんがやるならやりましょと、岸田今日子を中心にばたばたっと決まって反対がなかった。岸田今日子に合わせるための配役ですとていうと、関係者たちもみな黙った。岸田今日子も、スナフキンも声優やるなんて思いもよらなかった。だから田代さんは苦労したらしい。高木均なんて、画面が口を動かしたところから、息を吸い始めるんですよ。だから必ず、一呼吸遅れる。で、どうしたかっていうと、とりあえずOKして、後から全部ずらして(笑)。声優としては、ノンノンのお兄さんスノークが広川太一郎だね、これはみんなの意見が一致した。彼はアドリブの名手で、前回、アドリブで言ったことを採用して、今回の脚本に全部書き込んでいった。そしたら乗っちゃって、スノークの役作りに貢献した。他の役者もいいアドリブが出ると次の脚本に書いてあって。特にアニメ系の役者たちはすごくテンションが上がった。それが製作が私たちの手から離れたらパッとなくなった。だから声優たちから反乱が起こった・・でも、これは別の話。

大塚康生さん 略歴

1931年島根県生まれ
東映動画アニメーター第一期生。日本におけるアニメの創生期から第一線で活躍。

宮崎駿さん、高畑勲さんの先生であり、まさに日本の近代アニメーションにおける礎。アニメーターの父と云うべき人物。

元麻薬Gメンという異色の経歴を持ち、軍用車両に造詣が深く、ジープマニアとしても有名。

現在は一線を離れ、スタジオジブリや東映アニメーション研究所などで後進の指導にあたっている。
日本アニメーター・演出協会 (JAniCA) 会員。

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vol.9 世界の人を魅了した初代ムーミン

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大塚 実は、台湾の若い世代がムーミンにものすごく詳しいんです。今も放映しているんですよ。何回も。5年おきにムーミンを放映しているんです。

おおすみ 日本の?われわれが作った?

大塚 そうです。間違いなくあのムーミンです。

おおすみ 海外で放送できないってのは、あれ、うそなんですか。

R0012227f_2 大塚 うそうそ。やっているんですよ。去年台湾でサイン会で行ったときにね、みんなムーミン描けって言うんですよ。ムーミンは描けるけど、もう忘れているからノンノンとかスナフキンは描けないよって言ったら、ムーミンでいいから描いてくれって。

おおすみ ムーミンなら、すらすらっと描けるでしょ?(笑)

大塚 きちっと描けたかはわからないけど(笑)。とにかくね、台湾の雰囲気に似ているんですよ。

おおすみ ムーミンが?あー、コミュニティみたいなものの雰囲気が残っているってことでしょう。ムーミン谷が・・。

大塚 そうそう、残っているんですよ。台湾の人たちの心情には、あの頃のアニメがいいんですよ。台湾の業者に聞いてみたら、『最近、日本から買うものがなくなった。どうしてムーミンみたいなのを作らないの?』って。そりゃ時代の流れですよって(笑)。

おおすみ そうですか、台湾でやってるんですね。

R0012330大塚 台湾で放映しているムーミンを見たんですけど、声が柔らかいんですよ。中国語に吹替えていてね。

おおすみ 岸田今日子ほどクールじゃないんだ(笑)。

大塚 台湾で作られた違法コピーが、福建省や広東省に出回っているそうです。そこでも人気があるんだって。日本では意外に知られてないよね。

おおすみ 知らなかった。今の中国や台湾にも、合うってことでしょうね。

大塚 合うんでしょうね。テンポのおっとりしたとことかね。

おおすみ 日本で放送されていた当時も、テンポがのんびりしてたわりには、反響がホットでしたよ。

大塚 そうでしたね。

おおすみ 当時、フォーククルセーダーズの加藤和彦さんが、ムーミン谷には、われわれヒッピーが理想としている共和国がある。そこには理想郷がある。といった文章を朝日新聞に書いていたのを憶えていますが、世間の反応をみて、結構手ごたえあるなって感じてたんです。それが今、中国にある。

大塚 ええ。

おおすみ それが今の日本では、記憶からほとんど消えちゃっているんで、なんでだろう。

大塚 見ればわかりますよ。見てくれれば、われわれのやった仕事は、ヤンソンさんの思想を否定しているとも思わないし、あの当時のテレビのアニメ事情を抜きにしても、時代の流れから言えば、テレビアニメの風潮に抵抗した作品だと思いますよ。

おおすみ 僕自身の記憶として、ルパンはやたら大変だったから辛い記憶も多いけど、ムーミンは気楽にやったせいか(笑)、ルパンと同じメンバーの大塚さんや芝山さんたちと仕事したのに、現場を思い出したら、ムーミンの現場が僕にとってすごく楽しかった。これは記憶にとどめておきたい。

大塚 うんうん、そう。

大塚康生さん 略歴

1931年島根県生まれ
東映動画アニメーター第一期生。日本におけるアニメの創生期から第一線で活躍。

宮崎駿さん、高畑勲さんの先生であり、まさに日本の近代アニメーションにおける礎。アニメーターの父と云うべき人物。

元麻薬Gメンという異色の経歴を持ち、軍用車両に造詣が深く、ジープマニアとしても有名。

現在は一線を離れ、スタジオジブリや東映アニメーション研究所などで後進の指導にあたっている。
日本アニメーター・演出協会 (JAniCA) 会員。

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